O-TUBE By不肖nao道
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2012年01月12日

蛸の松



蛸の松(たこのまつ)

江戸時代、中之島には諸藩の蔵屋敷が建ち並び、屋敷前には各藩自慢の松が植えられていました。人々は屋敷の白壁と川の流れに映る松の景色を楽しんだといわれています。
なかでも、堂島川のほとりの久留米藩と広島藩の境の浜の松は、枝振りが蛸の泳ぐ姿に似ていることから「蛸の松」と呼ばれる名木でした。月の夕べや雪の朝の眺めはとりわけ美しく、絶賛されました。
江戸時代の「蛸の松」は地図に示す対岸にありました。明治維新後は、大阪府師範学校付属演習小学校(現大阪教育大学付属天王寺小学校)が大阪久留米藩蔵屋敷跡地に開校し、その同窓会は、この地の松に因んで「雛松会」と名付けられました。
その後、「蛸の松」は次第に樹勢が衰え、明治時代も終わるころ、枯死してしまいました。その切り株は現在、大阪教育大学に大切に保存されています。
このたび護岸の美化にあわせ、かっての風趣を偲んで、「蛸の松」をこの地に再現ましした。
平成十六年 雛松会
 

かつては堂島川の対岸、中之島の久留米藩屋敷の前に植えられていました。上図は今の建物も書き込まれているので、なかなか解りやすいです。この記事の最後にも地図を貼っていますのでドーゾご覧ください。今の大阪大学中之島センター前の中之島通の川岸にあったというコトは、阪大中之島センターは久留米藩蔵屋敷の跡地に建っているというコトです。


神宗所蔵の「久留米藩大阪蔵屋敷図」に描かれた「蛸の松」の威容です。確かにたこのように見えなくもないです。
神宗(かんそう)とは、大阪では有名な老舗の塩昆布(しおこぶ)屋さんです。


現在の田蓑橋と「蛸の松」です。後ろに建設中の中之島フェスティバルタワーが見えます。

一度、大教大の天王寺キャンパスに、当時の松の切り株がどれ程の大きさだったのか見学に行ってみましょう。たこ焼き


より大きな地図で 蛸の松と蔵屋敷 を表示
  
タグ :福島区

Posted by nao道 at 22:54Comments(0)TrackBack(0)旧跡を巡る