O-TUBE By不肖nao道
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2012年01月18日

福沢諭吉生誕地



福澤諭吉誕生地

幕末明治の大教育家福澤諭吉先生こゝに生る
時に天保五年十二月十二日(西暦一八三五年一月十日)。
こゝは舊豊前中津藩倉屋敷の長屋跡である。
先生の父百助は一面に於いて、経學者、詩文家であったが、然も、理財の道に精通した循吏であって、金穀會計の俗役に奔命して其生涯を終った人である。
彼は妻お順が、大きな瘠せて骨太な五番目の子を産んだ時「これはよい子だ、大きくなったら寺へ遣って坊主にする」と語ったと傳へられてゐる。
封建門閥の世に下級士族が其子をして名を成さしめる道はこれを佛門に入らしめる以外にはなかったのであらう。
當時に於いて、この子が後年、西洋文明東道の主人となり、封建的観念形態の打破に努力するに至る将来を誰が豫見し得たであらうか。
昭和二十九年一月 慶應義塾社中建之
題字 小泉信三
撰文 高橋誠一郎
書 西川寧


「学問のすゝめ(がくもんのすすめ)」や「文明論之概略」などの著書、そして「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず…(学問のすゝめ)」の言葉、慶應義塾大学の創設者として知られる明治時代を代表する啓蒙思想家として活躍した福沢諭吉は、豊前中津藩士福沢百助の末子として、中津藩大坂蔵屋敷のこの地で生まれました。
父、百助の急死により、母と共に中津(現・大分県中津市)へ戻った諭吉は、中津で儒学を学び、安政元年(1854)、長崎遊学を終え江戸へ上る途中、大坂の蔵屋敷へ立ち寄った際に兄にの薦めで緒方洪庵の適塾に入門し、最終的には塾頭にまで昇り詰めます。
3度にわたる江戸幕府の遣外使節にも随行しました。
その後、慶応4年(1868)に慶應義塾を開設しました。
そして今も一万円札の肖像としても知られています。



より大きな地図で 福沢諭吉の通学路 を表示

福沢諭吉が、当時の中津藩屋敷から過書町(現・北浜)の適塾に通う道、通学路がどんな感じだったか…Googleマップに書き込んでみましたので「より大きな地図」を㋗してご覧ください。


ああ忘れてた…人生の中で最も大切なものの中の一つ…一万円札(ユキチ)は偉大です。
最後になりましたが、諭吉の学んだ適塾についてはコチラからドーゾ4946です!ドル袋  
タグ :福島区

Posted by nao道 at 23:29Comments(2)TrackBack(0)旧跡を巡る