O-TUBE By不肖nao道
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みんなが知ってるいつもの大阪、意外に知られていないあんな歴史こんな人物、ウソかホンマか伝説・逸話、そして大阪検定のためになる話とソーでもない記事満載のブログ。コメント・TB、お待ちしております。4946!!!
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2012年01月31日

第4回大阪検定 概要



第4回「なにわなんでも大阪検定」の公開試験について

大阪商工会議所は、大阪府、大阪市、堺市、堺商工会議所や、観光・大学関連団体等との共催により、第4回「なにわなんでも大阪検定」の公開試験を平成24年7月1 日(日)に実施する。

【今回から新たに導入する内容】

1.新たなテーマ問題の設定
3級~1級の統一テーマを「大大阪時代とその前後~華やかなりしモダン大阪~」と設定。 具体的な各級の出題内容は次のとおりとする。各級とも全体の15%程度がテーマ問題となる。
3級テーマ:「100周年を迎える新世界と天王寺公園にまつわる今昔」
2級テーマ:「大大阪時代~通天閣・ルナパーク完成(明治45年)から御堂筋開通(昭和12年)までに建設された現存するモダン建築~」
1級テーマ:「大大阪時代とその前後~華やかなりしモダン大阪~」
上記、3級・2級の内容を軸に、大大阪時代とその前後について複合的に出題。

2.試験会場の追加
第2回、第3回の試験会場である大阪府立大学中百舌鳥キャンパスに加え、今回新たに常翔学園大阪工業大学大宮キャンパスも試験会場とし、受験者が希望する試験会場を選択する。
ただし、1級受験者と団体申込受験者は大阪府立大学を試験会場とする。

3.公式テキスト「大阪の教科書」の増補改訂および「第3回大阪の問題集」の発刊
3月下旬に公式テキスト「大阪の教科書」を増補改訂する。価格は1,995円(税込)。
今回の検定試験は新旧どちらのテキストからも各級所定の割合で問題を出題する。次回以降は新テキストから所定の割合を出題する。
また、前回大阪検定の出題・解説集「第3回大阪の問題集」も公式テキスト増補改訂版と同時に発売予定。価格は1,575円(税込)。

詳細はHPを見てね!
「なにわなんでも大阪検定公式ホームページ」はコチラからドーゾ!

というワケで、今回のテーマは概ね「大大阪時代」、つまり「明治から昭和初期のグレーター大阪時代」と言ってEでしょう。前回、第3回試験のテーマは「大阪の鉄道」と「大阪城」でしたね。
マイ嫁が、「今回は得意そうな分野やな」と言ってくれましたが、スキなだけで、いざ問題にされると細かいところまで確実に覚えてないといけませんからね…また今年も頑張ってみましょう。本


最後になりましたが、拙ブログをいつも愛して?頂いた皆様、ホンマに有難うございました。いつもあーとー!
この記事は、通算499回目の更新ということになります。最近、更新数がショボくなりましたが、これからはガンガン更新していきます。
そういうワケで次回、もし更新できれば500回目の節目を迎えることができます。
今までホンマに有難うございました。そしてこれからも4946です。大泣き
記念すべき500回目の記事には、大阪を代表するアノ有名な近代建築物をご用意しております。
  

Posted by nao道 at 12:53Comments(2)TrackBack(0)傾向と対策
2012年01月29日

行列のできるキタ 堂島ロール

堂島ロールとはモンシュシュ(Mon chouchou)という会社が製造・販売しているロールケーキのことです。
今回はパティシエリーモンシュシュ堂島本店さんについて書いていますので、店舗や商品の画像は全て堂島本店さんのものを使用しています。あらかじめ4946です。ハート



堂島ロール

「日本のニューヨーク」堂島
そう評されてきたここ堂島は、世界で最初に整備された、先物取引発祥の地とされています。
また明治、大正時代にはマスコミが情報の拠点を構えるなど、商都大阪の近代化に大きな役割を果たしました。
平成の今日も、関西ビジネス界の中心として位置し、ここに生きる人もまた、いつの時代も自信に満ちあふれ。光り輝いています…
そんな素晴らしいこの街に、「"甘いひととき"をお届けしたい」という気持ちから、この堂島ロールは生まれました。

箱の上部には堂島についての説明が上記のように、また箱の側面には、「"幸せ″を表す黄色と白のまる、"永遠″を表す筒型のロールケーキは、我が国独自の文化財。」と書かれていました。


堂島をニューヨークに例えるのはチョット壮大過ぎますけど、このあたりで大阪発祥の大きな企業には、朝日新聞、サントリーや東洋紡などがあります。
僕はスキですよ…渡辺橋や肥後橋を行き交うスーツ姿のビジネスマン。ハート
ケーキがヨーならんかな…花


苺が入った季節のロール「プリンセスロール」です。

遅くなりましたが、お味について…行列を嫌う大阪人が行列をなしたお店の味は、当たり前にスゴい(ゴイスー)です。
美味いです。クリームと苺がまるで恋人のように…初恋を思い出させてくれます。そしてそれをスポンジがやわらかく甘く包み込んでいます。
かなり大袈裟になりましたが、堂島ロールはホンマに美味しいです。プレゼント


もうこんなに有名なお店のことを記事にしてみたところで、「今さら何を言うとんねん!そんなもん誰でも知ってるわボケ!」というツッコミを頂くことを覚悟しつつ、タイトル「行列…」と画像(ぜんぜん行列ができていない)にギャップを自覚しつつ書いてみました。
「行列のできるキタ・ミナミシリーズ」として書きたかったので、そんなに並んで待たなくても買えるけど敢てこのタイトルにしました。
チョイ昔までの堂島本店の行列は渡辺橋の真ん中あたりまで続いていましたが、現在の大阪では、阪急うめだ本店の行列くらいなのかな?多店舗経営をはじめていますので、今では首都圏、博多、札幌、広島、さらには中国・上海でも販売されています。
ただ、消費期限は1日限り(生ものにつき)ですのでくれぐれも早く食べて下さい。チョキ



関連ランキング:ケーキ | 渡辺橋駅北新地駅大江橋駅

  
タグ :北区

Posted by nao道 at 23:47Comments(0)TrackBack(0)食いだおれ
2012年01月24日

中之島の彫像-あなたの名前は何ですか?


今日も寒いですね。それにもかかわらず如何にも寒そうな格好(裸やからね)の女性のブロンズ像が、中之島公園の「みおつくしプロムナード」から堂島川沿いに一段低くなった公園に細く美しくそびえ立っています。
しかし、この作品の正式名称(題名)を知っている人は意外に少ないのではないでしょうか?(僕も全く知りませんでした)赤面


この「緑の賛歌」と題するブロンズ像は彫刻家・本郷新の製作で、大正11年(1922)に鉄鋼専門問屋として現在の西区に誕生した現・浅井産業の創業者・浅井鉞次郎が、昭和48年(1973)に大阪市に寄贈したものです。浅井産業は、平成21年(2009)から東京に本社を移しています。
 


緑の賛歌

この彫像「緑の賛歌」は兵庫県川西市の浅井鉞次郎氏が、緑豊かな文化の香り高い街づくりを進めている大阪市の緑化運動に協力して寄付されたものです。
ご芳志に深く感謝し、市民の皆さんと喜びをともにしたいと思います。
昭和四十八年四月
大阪市長 大島靖
題字 
堀田庄三
彫像制作 本郷新
彫像の台座に上のように記されていました。


最後にこの像がある場所を付け加えて説明をするならば、みおつくしプロムナードとは大阪市役所、中之島図書館の南側を淀屋橋北詰から栴檀木橋北詰の中央公会堂にかけて敷かれた遊歩道のことです。若葉マーク
下の地図の「より大きな地図」を㋗してみて下さい。チョキ



より大きな地図で みおつくしプロムナード を表示
  
タグ :北区

Posted by nao道 at 10:10Comments(0)TrackBack(0)大阪市中今昔
2012年01月21日

中之島フェスティバルタワー-そびえ中


現在建設中(そびえ中)の中之島フェスティバルタワーが完成した暁には、中之島に地上約200mの超高層ビルが誕生することになります(ちなみにハービスOSAKAは約190m)。
このビルは今年の10月末竣工予定で、商業施設は11月28日にオープンし、新生フェスティバルホールはビルの竣工後、約5ヶ月かけてホール内の音響調整やスタッフの訓練などを行なった後、2013年4月3日に開業式典を行います。この日は、昭和33年(1958)に完成した旧フェスティバルホール開設の日に合わせたものです。こけら落とし公演は旧ホール開館以来、世界の著名アーティストにより毎年開催されてきた「大阪国際フェスティバル」の再開公演となります。


中之島フェスティバルタワーには朝日新聞大阪本社の一部が入居しますが、このビルの中核施設は、なんと言っても新フェスティバルホール(以下、新フェスと表記します…長いから)です。
このビルには朝日新聞大阪本社の一部も入居するようですが、やはり新フェスに期待がかかるのは当然のコトでしょう。


かつてフェスで行われたコンサートには「伝説」と言われた公演が多々あります。
山下達郎は、「ここを壊すのはカーネギーホールやオペラ座を壊すのと同じこと。愚行です。」と語り、当会場でのライブが二度と出来なくなるという強い思い入れからか、2008年12月~2009年4月に久々の全国ツアーを決行し、フェスティバルホールでは、2008年12月17・18日、27日・28日と4公演も行っています。
浜田省吾は、「東京では日本武道館、大阪ではフェスティバルホールでコンサートをするのがミュージシャンにとってのステータスだった。」
まさしさだ(さだまさし)もほとんどの大阪での公演でフェスティバルホールを使用していて、「神様が作ったホール」と称賛しています。デビュー35周年記念ツアー中に200回目の公演を迎え、それを「さだまさしデビュー35周年記念コンサートFESTIVAL HALL 200」というタイトルでライブ・アルバムにしています。
まさしの他にもライブ盤のための録音が行われることも多く、ディープ・パープル「ライヴ・イン・ジャパン」、マイルス・デイヴィス「パンゲア」などは世界でロングセラーを続けています。
毎年春に行われていた大阪国際フェスティバルには、世界の一流オーケストラやオペラなどが出演していました。
そして、バレエ公演においては関西のメッカとされ多くの国内外のバレエ団が公演を行っていました。
フェスティバルホールのイベントでよく知られていたのは、真夏8月に甲子園球場で開催される全国高等学校野球選手権大会の組み合わせ抽選会や年末の有線放送大賞でした。


西地区の朝日新聞ビルの建て替えは、来年着工、2018年完成予定です。こちらも東地区と同型のビルに建て替わります。
再開発もEことなのですが、少なくとも古いものの痕跡やそのイメージを街に刻んで欲しいものです。
上記、フェスティバルホールに関してはWikipediaを引用しています。コチラからドーゾ。花火  
タグ :北区

Posted by nao道 at 08:08Comments(0)TrackBack(0)大阪市中今昔
2012年01月18日

福沢諭吉生誕地



福澤諭吉誕生地

幕末明治の大教育家福澤諭吉先生こゝに生る
時に天保五年十二月十二日(西暦一八三五年一月十日)。
こゝは舊豊前中津藩倉屋敷の長屋跡である。
先生の父百助は一面に於いて、経學者、詩文家であったが、然も、理財の道に精通した循吏であって、金穀會計の俗役に奔命して其生涯を終った人である。
彼は妻お順が、大きな瘠せて骨太な五番目の子を産んだ時「これはよい子だ、大きくなったら寺へ遣って坊主にする」と語ったと傳へられてゐる。
封建門閥の世に下級士族が其子をして名を成さしめる道はこれを佛門に入らしめる以外にはなかったのであらう。
當時に於いて、この子が後年、西洋文明東道の主人となり、封建的観念形態の打破に努力するに至る将来を誰が豫見し得たであらうか。
昭和二十九年一月 慶應義塾社中建之
題字 小泉信三
撰文 高橋誠一郎
書 西川寧


「学問のすゝめ(がくもんのすすめ)」や「文明論之概略」などの著書、そして「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず…(学問のすゝめ)」の言葉、慶應義塾大学の創設者として知られる明治時代を代表する啓蒙思想家として活躍した福沢諭吉は、豊前中津藩士福沢百助の末子として、中津藩大坂蔵屋敷のこの地で生まれました。
父、百助の急死により、母と共に中津(現・大分県中津市)へ戻った諭吉は、中津で儒学を学び、安政元年(1854)、長崎遊学を終え江戸へ上る途中、大坂の蔵屋敷へ立ち寄った際に兄にの薦めで緒方洪庵の適塾に入門し、最終的には塾頭にまで昇り詰めます。
3度にわたる江戸幕府の遣外使節にも随行しました。
その後、慶応4年(1868)に慶應義塾を開設しました。
そして今も一万円札の肖像としても知られています。



より大きな地図で 福沢諭吉の通学路 を表示

福沢諭吉が、当時の中津藩屋敷から過書町(現・北浜)の適塾に通う道、通学路がどんな感じだったか…Googleマップに書き込んでみましたので「より大きな地図」を㋗してご覧ください。


ああ忘れてた…人生の中で最も大切なものの中の一つ…一万円札(ユキチ)は偉大です。
最後になりましたが、諭吉の学んだ適塾についてはコチラからドーゾ4946です!ドル袋  
タグ :福島区

Posted by nao道 at 23:29Comments(2)TrackBack(0)旧跡を巡る
2012年01月15日

中津藩蔵屋敷跡



豊前国中津藩蔵屋舗之跡

江戸時代の大坂は「天下の台所」と謳われ、物流や商業の中心地として大いに賑わっていました。諸国の米や名産品、物資や情報が行き交う中之島周辺には諸国各藩の蔵屋敷が建ち並び、最盛期には100以上の蔵屋敷が軒を連ねたと伝えられています。
中津藩蔵屋敷は、石碑の立つ現在の朝日放送(ABC)の敷地とほぼ重なる位置に設営されていました。
文化3年(1806)に刊行された「増脩改正攝州大阪地圖」には、堂島川河畔の田蓑橋北詰から玉江橋北詰にかけて東から順に、長岡藩、上田藩、秋田藩、壬生藩、延岡藩、中津藩の6つの蔵屋敷が描かれています。
そして特筆ずベきは、ある人物がこの地に産声を上げました。天保5年(1835)12月12日、この中津藩蔵屋敷に福澤諭吉が誕生しています。



中津藩蔵屋敷は現在の「ほたるまち」の一画にありました。
この地は平成5年(1993)に大阪大学医学部附属病院(阪大病院)移転してからは空地の状態が続きましたが、平成20年(2008)に「"水の都"復活につながる、魅力的な水辺のまちを創造する」というコンセプトの下、「ほたるまち」が誕生しました。朝日放送(ABC)とABCホール、堂島リバーフォーラムと堂島クロスウォークがその中核施設です。
上の古地図は文久3年(1863)に描かれた「國寶大阪全圖」の一部です。この頃には蔵屋敷も入れ替わり(敷地の面積は古地図ではよく見うけられる絵画的要素により実寸は測れない)、藩主である大名家の蔵屋敷をこの地域に8つ確認することができます。


より大きな地図で 諸藩の蔵屋敷群-田蓑橋北詰~玉江橋北詰 を表示

Googleマップで地図を作成しましたので、上の「より大きな地図」を見て下さい。文化3年(1806)、「増脩改正攝州大阪地圖」に描かれた田蓑橋から玉江橋にかけての蔵屋敷群を大まかに表現してみました。


今回は豊前国中津藩跡の碑を見て頂きましたが、勘のE読者ならもうお気付きかと思います。拍手
バレバレではあるものの次回は諭吉さんについて、この地に生まれた福沢諭吉について書いてみます。チョキ
天は人の上に人を…人の下に人を…4946です!本

「おおさか遊ぶろぐ」でこの記事をチェック!  
タグ :福島区

Posted by nao道 at 08:08Comments(0)TrackBack(0)旧跡を巡る
2012年01月12日

蛸の松



蛸の松(たこのまつ)

江戸時代、中之島には諸藩の蔵屋敷が建ち並び、屋敷前には各藩自慢の松が植えられていました。人々は屋敷の白壁と川の流れに映る松の景色を楽しんだといわれています。
なかでも、堂島川のほとりの久留米藩と広島藩の境の浜の松は、枝振りが蛸の泳ぐ姿に似ていることから「蛸の松」と呼ばれる名木でした。月の夕べや雪の朝の眺めはとりわけ美しく、絶賛されました。
江戸時代の「蛸の松」は地図に示す対岸にありました。明治維新後は、大阪府師範学校付属演習小学校(現大阪教育大学付属天王寺小学校)が大阪久留米藩蔵屋敷跡地に開校し、その同窓会は、この地の松に因んで「雛松会」と名付けられました。
その後、「蛸の松」は次第に樹勢が衰え、明治時代も終わるころ、枯死してしまいました。その切り株は現在、大阪教育大学に大切に保存されています。
このたび護岸の美化にあわせ、かっての風趣を偲んで、「蛸の松」をこの地に再現ましした。
平成十六年 雛松会
 

かつては堂島川の対岸、中之島の久留米藩屋敷の前に植えられていました。上図は今の建物も書き込まれているので、なかなか解りやすいです。この記事の最後にも地図を貼っていますのでドーゾご覧ください。今の大阪大学中之島センター前の中之島通の川岸にあったというコトは、阪大中之島センターは久留米藩蔵屋敷の跡地に建っているというコトです。


神宗所蔵の「久留米藩大阪蔵屋敷図」に描かれた「蛸の松」の威容です。確かにたこのように見えなくもないです。
神宗(かんそう)とは、大阪では有名な老舗の塩昆布(しおこぶ)屋さんです。


現在の田蓑橋と「蛸の松」です。後ろに建設中の中之島フェスティバルタワーが見えます。

一度、大教大の天王寺キャンパスに、当時の松の切り株がどれ程の大きさだったのか見学に行ってみましょう。たこ焼き


より大きな地図で 蛸の松と蔵屋敷 を表示
  
タグ :福島区

Posted by nao道 at 22:54Comments(0)TrackBack(0)旧跡を巡る
2012年01月04日

旭屋書店本店-さよならの向こう側


平素より旭屋書店をご利用いただきまして誠にありがとうございます。
さて、当本店ビルは老朽化が進み、平成二十三年十二月末をもちまして、建替えの為閉店させて頂くこととなりました。
平成二十七年春の竣工を予定しております。
梅田の地に四十二年間営業できましたのも皆様のご愛顧のたまものと厚くお礼申し上げます。
お客様には大変ご不便をおかけいたしますが、何卒ご理解の程よろしくお願いいたします。
なお、旭屋書店はなんば、天王寺、梅田・地下街、泉南、甲子園ほか近畿一円、関東、九州に店舗がございますので、今後ともご利用くださいますようお願い申し上げます。
株式会社 旭屋書店


旭屋書店本店は昭和44年(1969)に現在地(大阪市北区曽根崎2丁目)に開業しました。地上8階建ての自社ビルで、7階まで書店として営業していました。今後は、北側に隣接するビルの敷地と合わせて総合開発が行われ、完成した新ビル(地上102m)にテナントとして入居する予定です。特に本店で高い人気を誇る鉄道書コーナーは、旭屋書店なんばCITY店に移設され更に売り場面積を拡大しています。

鉄道ファンの聖地と言っても過言ではない鉄道書売り場は7階(8階の時もあった)でしたね。電車


やっぱり歴史のある企業にはファンがいます。旭屋の見慣れたいつもの袋を手にして一時の別れを惜しむお客さんが、閉店後も名残惜しそうにシャッターの下りた店の前に…動画をドーゾ。OK↓


上記、本店の略歴に昭和44年(1969)に開業と書きましたが、実は12月末に一時閉店するこの本店の前身は、かつて国鉄大阪駅前(現・ヒルトンプラザあたり)に昭和21年(1946)に創業した旭屋商店です。主に雑貨や化粧品を扱っていた旭屋商店は開業の翌年、昭和22年に書籍を主要な商品とする「旭屋書店」として屋号も新たにスタートしました。そして、23年後の昭和44年に現在地に移転しています。
僕らの親くらいの年齢の方によくこの話をきいた人も多いと思います。


今や梅田は林立する大型書店により本の飽和状態にあります。
最古参の旭屋書店はその梅田で負けたと捉えることもできますが、自社ビルで営業していればいつかは建替えの時期が訪れます。その時が来ただけとも言えます。梅田の他の大型書店は、その分のテナント料を毎月支払っているはずです。一般家庭で持ち家と賃貸マンションに置き換えて考えると…どっちが得か?よく分りませんが、一戸建ては建て替えもリフォームも自由にできます。

いずれにせよ新しい本店がどんな風になるのか、それが楽しみです。今度は、子供たちの世代に僕らの世代の人が、「昔は8階建てのビルで…自分ら知らんかもしれんけど懐かしいわ」とか言う日が来るかもしれませんね。ニコニコ


より大きな地図で 新旧旭屋書店本店 を表示
  
タグ :北区

Posted by nao道 at 13:13Comments(4)TrackBack(0)大阪市中今昔
2012年01月01日

謹賀新年 平成二十四年元旦


本年も不肖nao道とマイ嫁、猫のヨンコ、そして拙ブログを宜しくお願い申し上げます。
何卒4946です。りゅう  

Posted by nao道 at 09:09Comments(4)TrackBack(0)御挨拶