オオサカジン

日記/一般 日記/一般   | 大阪市

新規登録ログインヘルプ


O-TUBE By nao道
nao道
nao道
みんなが知ってるいつもの大阪、意外に知られていないあんな歴史こんな人物、ウソかホンマか伝説・逸話、そして大阪検定のためになる話とソーでもない記事満載のブログ。
コメント・TB、お待ちしております。4946!!!
COUNTER
< 2024年04月 >
S M T W T F S
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
WEEKLY-RANKING
 › O-TUBE › 古今芸能・文学 › 上方落語寄席発祥の地
2013年09月01日

上方落語寄席発祥の地

上方落語寄席発祥の地

中輿の祖 初代 桂 文治

初代桂文治は、寛政年間(一七八九~一八〇〇年)、坐摩神社境内に大阪でははじめて寄席を建て抜群の話芸で名人と称され、上方落語繁栄の基礎を築いた。
それまで大道芸に近い芸能だった落語を室内の高座で演ずる現在につながる興行形式にあらためたのであるために文治は、上方落語の中興と仰がれている。
文治の名称は、三代目以降が江戸に移ったが七代目文治の名が一旦大阪に戻り、初代文治を祖とする桂派の流れは大阪と江戸の両地で大きな勢力となって、東西落語界の興隆を支えて今日に至っている。
大阪芸能懇話会 肥田晧三

上方落語寄席発祥の地
江戸時代後期、ここ坐摩神社において初代桂文治が開いた咄の席が上方落語の寄席興行の始まりです。以降、幕末から明治・大正にかけて多くの落語の席が誕生し上方落語は飛躍的な発展をとげました。
昭和に入り 戦災等によって落語は定席を失いましたが、平成十八年九月「天満天神繁昌亭」が復活しました。
ここに感謝と継承の思いを込め、初代桂文治の業績を顕彰し原点の証として「上方落語寄席発祥の地」の日を建立します。
上方落語協会 桂三枝

碑文の前半は上方芸能研究家で元関西大教授の肥田晧三氏、後半は建立当時桂三枝だった六代目文枝さんによるものです。
碑文をそのまま写しました。そこに私が、勝手に読点・句読点をふりました。

上方落語寄席発祥の地
建立当時、上方落語協会の桂三枝会長は「寄席発祥の地とは知っていたが、ここには、その跡形もなかったので、碑が完成してありがたい。ここが繁昌亭のルーツであり、今後も上方落語の振興に務めたい。」と話していました。

上方落語寄席発祥の地
ちなみに坐摩神社(いかすりじんじゃ、ざまさん)の夏は、この神社のシンボルでもある鷺草(サギソウ)がきれいです。プレゼント

さらに昨日と今日は、彦八まつりが上方落語発祥の地とされる生國魂神社で行われています。メロメロ


大きな地図で見る


タグ :旧東区

同じカテゴリー(古今芸能・文学)の記事画像
内子座文楽-真夏の愛媛旅行5
二代目吉田玉男襲名披露口上
一谷嫩軍記
卅三間堂棟由来
靭猿
天網島時雨炬燵‐紙屋内の段
同じカテゴリー(古今芸能・文学)の記事
 内子座文楽-真夏の愛媛旅行5 (2015-11-01 11:04)
 二代目吉田玉男襲名披露口上 (2015-04-29 09:09)
 一谷嫩軍記 (2015-04-24 11:11)
 卅三間堂棟由来 (2015-04-23 07:07)
 靭猿 (2015-04-21 10:10)
 天網島時雨炬燵‐紙屋内の段 (2015-04-18 23:34)

 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。