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<title>O-TUBE</title>
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<description>大阪検定♥なにわなんでもオーチューブ</description>
<language>ja</language>
<pubDate>Sat, 15 Aug 2009 01:08:21 +0900</pubDate>
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<title>あべのハルカス-そびえ中</title>
<description>現在建設中(そびえ中)のあべのハルカスが完成した暁には、天王寺・阿倍野地区に日本一高い超高層ビル(300m)が誕生します。ちなみに現在1位の横浜ランドマークタワーの高さは296mです。平成26年(2014)竣工、同年開業予定のこのビルは、地下から低層階には近鉄百貨店阿倍野店や近鉄阿部野橋駅、中層階はオフィスと美術館、そして高層階には大阪マリオット都ホテルや展望台などが入る予定で、まさに多彩な顔を持つ施設となるようです。また中層階のオフィスには、地元阿倍野区に本社を構えるシャープの営業・開発部門や同じく同区に本社を置く奥村組などが入居する見通しです。手前から天王寺都ホテル、新宿ごちビル、百貨店旧館東側と並んで一番奥に現在そびえ中のあべのハルカスが見えます。現在クレーンのある最上部までの高さはだいたい200mほどでしょうか。JR天王寺駅の東口より20mくらい東側の歩道から撮ってみました。もっと東側の高い場所から撮ってみました。すでに向かいの天王寺MIO(ミオ)の倍以上の高さ…お昼時にはミオが超高層建築の影に入ってしまうのでしょう。画像の手前、下の方にチラッと見えるのがあべの&amp;amp;(アンド)とあべのHOOP(フープ)です。南東から見上げたそびえ中のあべのハルカスです。それにしても阿倍野再開発エリアには「あべの」+「カタカナまたはアルファベット」表記による名称の施設が多いです。あべのベルタ、あべのポンテ、あべのルシアス、あべのmini、そして「あべのハルカス」…お前もか!ビルの名前が正式に発表されるまでは、阿倍野ターミナルビルタワー館という仮称で工事が行われていました。すでに取り壊されたかつての近鉄百貨店新館です。「空間の魔術師」と言われた村野藤吾の作品です。現存するものは少なくなりましたが、そごう大阪店、大丸神戸店をはじめ百貨店(デパート)も数多く手がけ、その評価は非常に高いものでした。あべのハルカスの外観デザイン設計を担当したのは、シーザー・ぺリというアルゼンチンの建築家で、世界中に有名な超高層ビルを建てまくっているスゴイ人なんです。僕は知りませんでしたが、大阪に彼の建築はすでに存在していて、大阪歴史博物館や国立国際美術館、中之島三井ビルディングなどを設計しています。タイプも時代も違いますが、同じ土地の建築に関わった2人のスゴイ建築家についてはWikipediaで簡単にドーゾ。村野藤吾についてはコチラ、シーザー・ぺリについてはコチラからドーゾ見て下さい。梅田一極集中に歯止めをかけられるのでしょうかね。ドーでしょうか?より大きな地図で あべのハルカス を表示</description>
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<category>近代建築物</category>
<pubDate>Fri, 17 Feb 2012 13:13:00 +0900</pubDate>

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<title>日本基督教団 南大阪教会</title>
<description>南大阪教会の塔屋(教会塔)は昭和3年(1928)、大阪基督教会創立50周年記念事業の一つとして建築されたました。設計・監督は、当時まだ渡辺節建築事務所に在籍していた村野藤吾で、これが彼の処女作になります。明治24年(1891)、佐賀県唐津市に生まれた村野藤吾は、大正7年(1918)に早稲田大学建築学科を卒業後、大阪の渡辺節建築事務所に入所し、活動の拠点を大阪に置きました。旧礼拝堂(会堂)と塔屋(教会塔)は無事に戦火をくぐり抜けましたが、時間の経過とともに傷みが激しくなり、旧礼拝堂(会堂)を取り壊すことになりました。その際、村野は「私の長男」と呼んで強い愛着を示したというエピソードがあります。そして昭和56年(1981)に新礼拝堂(会堂)が建築されましたが、こちらも当時90歳の村野の手によるもので、彼の宗教建築最後の作品となりました。つまり南大阪教会は、村野藤吾の処女作である塔屋(教会塔)と最晩年の作品である新礼拝堂(会堂)とが一望できる貴重な建築物であるということができます。村野藤吾は、モダニズムの理念と方法から出発しながら、様式性や装飾美を湛えた独自のデザインを展開した建築家として知られ、「空間の魔術師」とも言われました。ここでは敢て彼が携わったその代表作を紹介しませんが、そのうち村野作品を年代別にまとめたリンク集を作ります。現存しないものも多いので(モチロン今でも現役のビルも多いけど)、それが残念です。やっぱり、「いつか見よう…」とか「いつでも撮れるからまた今度…」とかはアカンわ。E建築に街で出会ったなら、その都度、キッチリ、ハッキリ、ゴッソリ撮っとかんとアカンわなー。カタチあるものはいつか無くなりますので…いやー参りました。村野藤吾…最近ハマった人物です。より大きな地図で 大阪南教会 を表示</description>
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<category>近代建築物</category>
<pubDate>Tue, 14 Feb 2012 13:13:00 +0900</pubDate>

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<title>阪田寛夫「サッちゃん」の歌碑</title>
<description>阪田寛夫1925年：大阪市住吉区天王寺町2279番地(現在の大阪市阿倍野区松崎町三丁目16-8)に生まれる。1930年に南大阪幼稚園入園。1932年：帝塚山学院小学部、のち大阪府立住吉中学校(現在の住吉高等学校)に進学、中学2年生のとき、大阪南教会で洗礼を受ける。1943年：旧制高知高等学校入学。在学中に召集を受けて、1944年大阪の歩兵部隊に入隊。1945年8月満州(現在の中国東北部)遼陽の陸軍病院で敗戦を迎える。1951年：東京大学文学部卒業。朝日新聞大阪本社入社。約10年間、音楽番組を中心にプロデューサーをつとめ、同時に創作活動に入る。吉田豊と結婚する。1956年：東京支社に転勤。1959年：大中恩の誘いを受け、こどもの詩「サッちゃん」を書く。1963年：朝日放送を退職し、作家生活に入る。以降10年間ほどNHKテレビ番組「歌のえほん」「みんなのうた」のために歌詞を書く。ひろく小説、童話、放送局合唱組曲、ミュージカル、オペラ台本などの製作に従事。1965年：放送劇「狐に穴あり」で芸術祭奨励賞を受ける。1967年：「花子の旅行」で久保田万太郎賞、合唱組曲「イソップ物語」で芸術祭奨励賞を受ける。1974年：小説「土の器」で第72回芥川賞受賞。1975年：詩集「サッちゃん」で日本童謡賞を受賞。以降、小説と詩の作品で、野間児童文芸賞、毎日出版文化賞、巌谷小波文芸賞、川端康成文学賞を受ける。1988年：小説「天山」で日本芸術院文芸部門恩賜賞を受賞。1989年：エッセイ「まどさんのうた」で赤い鳥文学賞特別賞を受ける。1990年：日本芸術院会員となる。2005年：3月22日逝去、享年79歳。 サッちゃんサッちゃんはね サチコっていうんだほんとはねだけど ちっちゃいからじぶんのこと サッちゃんって呼ぶんだよおかしいな サッちゃんサッちゃんはね バナナが大好きほんとだよだけど ちっちゃいからバナナを はんぶんしか　たべられないのかわいそうね サッちゃんサッちゃんがね 遠くへ行っちゃうってほんとかなだけど ちっちゃいからぼくのことわすれてしまうだろさびしいな サッちゃん阪田寛夫上記、阪田寛夫の略歴と「さっちゃん」の歌詞は、現地碑文より原文ママで写したものです。ちなみにこの曲の作曲は、上述の略歴にも登場する大中恩氏によるものです。チョット読みづらいかもしれませんが、この歌を読み解くにあたって重要なコトがおそらく、タブン記されています…あくまでタブンですよ。この碑は、南大阪教会の敷地内に同教会が運営する南大阪幼稚園南端の塀の道路側にあり、道路を通る誰もが見ることができます。この教会には阪田寛夫と共にもう一人、ゆかりの深い人物(建築家)がいます。その建築家とは、この教会の設計者であり、大阪にまさに星の数ほど煌めく現代建築を生み出したモダニズムの巨星、村野藤吾です。調べるほどにカレのスゴさはさすがにゴイスーなので、また次回以降に書いてみます。あーとー。より大きな地図で 大阪南教会 を表示</description>
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<category>浪花偉人列伝</category>
<pubDate>Sun, 12 Feb 2012 12:12:00 +0900</pubDate>

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<title>仁徳天皇陵「正辰祭」を初公開</title>
<description>仁徳天皇陵で「正辰祭」宮内庁が初めて取材許可 1613回目の命日世界最大級の墳墓で、宮内庁が仁徳天皇陵に指定している堺市の大山古墳(5世紀中ごろ)で8日、仁徳天皇の没後1613回目の命日祭「正辰祭」が行われた。皇室が祖先を慰霊する私的祭祀の一つ。全国の天皇陵や陵墓参考地など約600カ所でそれぞれ年に1度行われているが、国民の目に触れる機会はほとんどなかった。宮内庁は今回、共同通信に対し、メディアとして初めて取材と撮影を許可した。堺市などが大山古墳を含む「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産登録を目指し、同庁に陵墓の情報公開を望む声が高まる中、天皇陵での祭祀の実態を知る貴重な機会として関心を集めそうだ。仁徳天皇陵は3重の堀と堤に囲まれており、正辰祭は一般の人が立ち入れない最も内側の堤上にある拝所で行われた。午前10時、同庁書陵部古市陵墓監区事務所(大阪府羽曳野市)の職員や地元関係者ら12人が手を清めた後、堀にある橋を渡り、巨大な墳丘の前方部を臨む拝所へ。鳥居の前に設けられた台に供物の米、酒、海の幸のするめ、山の幸のリンゴとミカンと大根、塩、水を載せた五つの三方を職員が一つ一つ丁寧にささげ、参列者全員が拝礼。職員らは終始無言で、静寂が包む中、儀式は約20分で終了した。同庁によると、供物費は皇室の私的経費である内廷費から支出される。古代の天皇の命日は文献の没年月日を当時の太陰太陽暦から現在の太陽暦に換算。仁徳天皇は2月8日に当たるという。学界には仁徳天皇を古代中国の史書「宋書」に記された「倭の五王」の1人とみる説や、父の応神天皇と同一人物とする説があり、墳丘の年代や被葬者像をめぐって議論が続いている。上記は、スポニチ(Sponichi Annex)より転載させて頂きました。スポニチはんの記事はコチラからドーゾ(当たり前やけど、同じことが載ってる)。テレビ東京はんのサイトでは、動画で祭祀の模様が確認できます。コチラからドーゾ4946です。貴重な映像です。百舌鳥古墳群の主要な古墳がどのように分布しているかを下の地図に表してみました。「より大きな地図」で見て下さい。より大きな地図で 百舌鳥古墳群 を表示</description>
<link>http://otube.osakazine.net/e417657.html</link>
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<category>不肖nao道の日記</category>
<pubDate>Thu, 09 Feb 2012 07:07:00 +0900</pubDate>

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<title>OT-たみおもみじ</title>
<description>マイ嫁は奥田民生がスキとういことで、「たみおもみじ」というもみじ饅頭を、お取り寄せしてプレゼントをしてみました。マイ嫁も喜んでくれました。EEE良かったYO!宮島の老舗・やまだ屋さんと広島市出身のアーティスト・奥田民生のコラボレーション企画商品として3月末まで販売しています。奥田民生がパッケージのイラストを担当したこのもみじ饅頭は、8個入りで1000円とリーズナブルな価格設定になっています。おそらく中身とはコラボしていからだと思います。このコラボは宮島で行われた「ひとり股旅」とのカラミによって実現したのでしょう。奥田民生は昨年10月22日、故郷の世界文化遺産、宮島・厳島神社で「ひとり股旅スペシャル@厳島神社」と題しギター弾き語りによるライブを行いました。自身の持ち歌に加え、同郷の吉田拓郎「今日までそして明日から」、Perfume(パヒューム)「レーザービーム」などのカバー曲も披露しました。また、2004年にも旧広島市民球場で弾き語りライブを行っています。マイ嫁はもちろん持ってます。持ってる女は奥田民生のDVDを全て持っています。"ストレート ドキドキする 視線は まるでレーザービーム 心をしゅんわりと突き刺す の 虹色のラブビーム"やまだ屋 宮島本店関連ランキング：和菓子 | 広電宮島口駅、宮島口駅</description>
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<category>不肖nao道の日記</category>
<pubDate>Wed, 08 Feb 2012 02:54:51 +0900</pubDate>

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<title>大阪市中央公会堂</title>
<description>大阪市中央公会堂(中央公会堂)赤レンガが美しい中之島の中央公会堂は、北浜で株式仲買商を営んでいた岩本栄之助が大阪市に寄付した100万円を基金にして、指名設計競技に一等当選した建築家・岡田信一郎の設計案をもとに、辰野金吾と片岡安が中心となって実施設計を進め、5年5カ月の歳月をかけ、大正7年(1918)10月に竣工しました。このモダン建築は、鉄骨煉瓦造、地上3階、地下1階の構造をもち、そこには、地上に1・2階の吹き抜けの大集会室、三階の中集会室、特別室(貴賓室)、小集会室などが配され、地階には開館当時からの食堂、会議室や展示室、そして岩本記念館が設けられています。また中央公会堂は、ネオ・ルネサンス式とよばれる建築様式にバロック的な躍動感を加味した意匠で、壮大さの中に優雅さや華やかさ、やわらぎを表現してます。また日本における様式建築の習熟の過程をよく示しているとして、煉瓦を主体とした建築の到達点をかざる建築物の一つに数えられ高い評価を得ています。平成14年(2002)、国(文化庁)の重要文化財に指定されています。正面大アーチの屋根に、商業神「メルキュール」と、知恵・工芸・平和の象徴「ミネルヴァ」の神像を設置し、その下をステンドグラスで飾るという「復興式中準パラデアン式」と呼ばれる様式が、正面から見た中央公会堂に特徴的な印象を加えています。この画像では判別できませんが、左がメルキュール(英語：マーキュリー)、右が女神ミネルヴァ(ミネルバ)です。1・2階吹き抜けの大集会室は1000人以上(開館当時は2000人以上)の収容数を誇り、開館記念講演会が、大正7年(1918)11月22・23日、「憲政の神様」と称された尾崎行雄や林毅陸(はやしきろく)らを迎え行われました。その後もヘレン・ケラーやガガーリン、アインシュタイン、ゴルバチョフなど数多くの歴史的人物の講演、 イタリアやロシア歌劇団の公演、満州国皇帝溥儀(ふぎ)の奉迎会などが開催されています。モダンなシャンデリアや金箔に覆われた舞台縁、豪華なカーテンなど、細部に至るまで創建当時の姿にこだわった、重厚で荘厳な雰囲気を味うことができます。3階の創建当時から貴賓室として使用された特別室は、松岡壽によって「天地開闢」が描かれた天井画・壁画が特徴となっています。そこには大阪に縁の深い仁徳天皇をモチーフにした日本神話が描かれています。3階の窓には、慶祝の象徴である鳳凰と、大阪市章「みおつくし」がデザイン化されたステンドグラスを見ることが出来ます。和と洋を融合させた、今では再現が困難な当時の職人の技巧が施された部屋は、そのものが芸術品といわれています。3階の中集会室はヨーロッパの宮殿の大広間を彷彿とさせる華麗なホールとなっています。アーチ状の高い天井により、素晴らしい音響を可能にし、創建当時のまま残されている貴重なシャンデリアとステンドグラスが贅沢な空間を演出してます。現在の中央公会堂は、平成11年(1999)に開始された保存・再生工事は、歴史的建造物としての保存と、創建当時への復元改修に加え、古い建築物に高い耐震性能を蘇らせる「免震レトロフィット構法」を採用するなど大掛かりなものとなりました。大阪市北区中之島1-1-27竣工：大正7年(1918)設計：辰野片岡建築事所構造：鉄骨煉瓦造・地下1階、銅板葺、一部スレート葺煉瓦造2階建岩本栄之助についてはまた今度書いてみます。今回は「大阪の観光ガイド」に欠かすことの出来ないチョー有名な、どんな本にも紹介される中之島の中央公会堂について書いてみました。栴檀木橋(せんだんのきばし)の南端から撮影した中央公会堂です。これが拙ブログの500回目の記事でした。1000回目は何を書いているのか想像もつきませんが、今日はこのへんでサヨウナラ。より大きな地図で 大阪市中央公会堂 を表示</description>
<link>http://otube.osakazine.net/e416019.html</link>
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<category>近代建築物</category>
<pubDate>Fri, 03 Feb 2012 12:12:00 +0900</pubDate>

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<title>第4回大阪検定 概要</title>
<description>第4回「なにわなんでも大阪検定」の公開試験について大阪商工会議所は、大阪府、大阪市、堺市、堺商工会議所や、観光・大学関連団体等との共催により、第4回「なにわなんでも大阪検定」の公開試験を平成24年7月1 日(日)に実施する。【今回から新たに導入する内容】１．新たなテーマ問題の設定○3級~1級の統一テーマを「大大阪時代とその前後~華やかなりしモダン大阪~」と設定。 具体的な各級の出題内容は次のとおりとする。各級とも全体の15%程度がテーマ問題となる。3級テーマ：「100周年を迎える新世界と天王寺公園にまつわる今昔」2級テーマ：「大大阪時代~通天閣・ルナパーク完成(明治45年)から御堂筋開通(昭和12年)までに建設された現存するモダン建築~」1級テーマ：「大大阪時代とその前後~華やかなりしモダン大阪~」上記、3級・2級の内容を軸に、大大阪時代とその前後について複合的に出題。２．試験会場の追加○第2回、第3回の試験会場である大阪府立大学中百舌鳥キャンパスに加え、今回新たに常翔学園大阪工業大学大宮キャンパスも試験会場とし、受験者が希望する試験会場を選択する。○ただし、１級受験者と団体申込受験者は大阪府立大学を試験会場とする。３．公式テキスト「大阪の教科書」の増補改訂および「第３回大阪の問題集」の発刊○３月下旬に公式テキスト「大阪の教科書」を増補改訂する。価格は１，９９５円（税込）。○今回の検定試験は新旧どちらのテキストからも各級所定の割合で問題を出題する。次回以降は新テキストから所定の割合を出題する。○また、前回大阪検定の出題・解説集「第３回大阪の問題集」も公式テキスト増補改訂版と同時に発売予定。価格は1,575円(税込)。【詳細はHPを見てね！】○「なにわなんでも大阪検定公式ホームページ」はコチラからドーゾ!というワケで、今回のテーマは概ね「大大阪時代」、つまり「明治から昭和初期のグレーター大阪時代」と言ってEでしょう。前回、第3回試験のテーマは「大阪の鉄道」と「大阪城」でしたね。マイ嫁が、「今回は得意そうな分野やな」と言ってくれましたが、スキなだけで、いざ問題にされると細かいところまで確実に覚えてないといけませんからね…また今年も頑張ってみましょう。最後になりましたが、拙ブログをいつも愛して?頂いた皆様、ホンマに有難うございました。いつもあーとー!この記事は、通算499回目の更新ということになります。最近、更新数がショボくなりましたが、これからはガンガン更新していきます。そういうワケで次回、もし更新できれば500回目の節目を迎えることができます。今までホンマに有難うございました。そしてこれからも4946です。記念すべき500回目の記事には、大阪を代表するアノ有名な近代建築物をご用意しております。</description>
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<category>傾向と対策</category>
<pubDate>Tue, 31 Jan 2012 12:53:00 +0900</pubDate>

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<title>行列のできるキタ 堂島ロール</title>
<description>堂島ロールとはモンシュシュ(Mon chouchou)という会社が製造・販売しているロールケーキのことです。今回はパティシエリーモンシュシュ堂島本店さんについて書いていますので、店舗や商品の画像は全て堂島本店さんのものを使用しています。あらかじめ4946です。堂島ロール「日本のニューヨーク」堂島そう評されてきたここ堂島は、世界で最初に整備された、先物取引発祥の地とされています。また明治、大正時代にはマスコミが情報の拠点を構えるなど、商都大阪の近代化に大きな役割を果たしました。平成の今日も、関西ビジネス界の中心として位置し、ここに生きる人もまた、いつの時代も自信に満ちあふれ。光り輝いています…そんな素晴らしいこの街に、「"甘いひととき"をお届けしたい」という気持ちから、この堂島ロールは生まれました。箱の上部には堂島についての説明が上記のように、また箱の側面には、「"幸せ″を表す黄色と白のまる、"永遠″を表す筒型のロールケーキは、我が国独自の文化財。」と書かれていました。堂島をニューヨークに例えるのはチョット壮大過ぎますけど、このあたりで大阪発祥の大きな企業には、朝日新聞、サントリーや東洋紡などがあります。僕はスキですよ…渡辺橋や肥後橋を行き交うスーツ姿のビジネスマン。ケーキがヨーならんかな…苺が入った季節のロール「プリンセスロール」です。遅くなりましたが、お味について…行列を嫌う大阪人が行列をなしたお店の味は、当たり前にスゴい(ゴイスー)です。美味いです。クリームと苺がまるで恋人のように…初恋を思い出させてくれます。そしてそれをスポンジがやわらかく甘く包み込んでいます。かなり大袈裟になりましたが、堂島ロールはホンマに美味しいです。もうこんなに有名なお店のことを記事にしてみたところで、「今さら何を言うとんねん!そんなもん誰でも知ってるわボケ!」というツッコミを頂くことを覚悟しつつ、タイトル「行列…」と画像(ぜんぜん行列ができていない)にギャップを自覚しつつ書いてみました。「行列のできるキタ・ミナミシリーズ」として書きたかったので、そんなに並んで待たなくても買えるけど敢てこのタイトルにしました。チョイ昔までの堂島本店の行列は渡辺橋の真ん中あたりまで続いていましたが、現在の大阪では、阪急うめだ本店の行列くらいなのかな?多店舗経営をはじめていますので、今では首都圏、博多、札幌、広島、さらには中国・上海でも販売されています。ただ、消費期限は1日限り(生ものにつき)ですのでくれぐれも早く食べて下さい。パティシエリー モン シュシュ 堂島本店関連ランキング：ケーキ | 渡辺橋駅、北新地駅、大江橋駅</description>
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<category>食いだおれ</category>
<pubDate>Sun, 29 Jan 2012 23:47:45 +0900</pubDate>

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<title>中之島の彫像-あなたの名前は何ですか?</title>
<description>今日も寒いですね。それにもかかわらず如何にも寒そうな格好(裸やからね)の女性のブロンズ像が、中之島公園の「みおつくしプロムナード」から堂島川沿いに一段低くなった公園に細く美しくそびえ立っています。しかし、この作品の正式名称(題名)を知っている人は意外に少ないのではないでしょうか?(僕も全く知りませんでした)この「緑の賛歌」と題するブロンズ像は彫刻家・本郷新の製作で、大正11年(1922)に鉄鋼専門問屋として現在の西区に誕生した現・浅井産業の創業者・浅井鉞次郎が、昭和48年(1973)に大阪市に寄贈したものです。浅井産業は、平成21年(2009)から東京に本社を移しています。　緑の賛歌この彫像「緑の賛歌」は兵庫県川西市の浅井鉞次郎氏が、緑豊かな文化の香り高い街づくりを進めている大阪市の緑化運動に協力して寄付されたものです。ご芳志に深く感謝し、市民の皆さんと喜びをともにしたいと思います。昭和四十八年四月大阪市長 大島靖題字&amp;nbsp;堀田庄三彫像制作 本郷新彫像の台座に上のように記されていました。最後にこの像がある場所を付け加えて説明をするならば、みおつくしプロムナードとは大阪市役所、中之島図書館の南側を淀屋橋北詰から栴檀木橋北詰の中央公会堂にかけて敷かれた遊歩道のことです。下の地図の「より大きな地図」を㋗してみて下さい。より大きな地図で みおつくしプロムナード を表示</description>
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<category>大阪市中今昔</category>
<pubDate>Tue, 24 Jan 2012 10:10:00 +0900</pubDate>

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<title>中之島フェスティバルタワー-そびえ中</title>
<description>現在建設中(そびえ中)の中之島フェスティバルタワーが完成した暁には、中之島に地上約200mの超高層ビルが誕生することになります(ちなみにハービスOSAKAは約190m)。このビルは今年の10月末竣工予定で、商業施設は11月28日にオープンし、新生フェスティバルホールはビルの竣工後、約5ヶ月かけてホール内の音響調整やスタッフの訓練などを行なった後、2013年4月3日に開業式典を行います。この日は、昭和33年(1958)に完成した旧フェスティバルホール開設の日に合わせたものです。こけら落とし公演は旧ホール開館以来、世界の著名アーティストにより毎年開催されてきた「大阪国際フェスティバル」の再開公演となります。中之島フェスティバルタワーには朝日新聞大阪本社の一部が入居しますが、このビルの中核施設は、なんと言っても新フェスティバルホール(以下、新フェスと表記します…長いから)です。このビルには朝日新聞大阪本社の一部も入居するようですが、やはり新フェスに期待がかかるのは当然のコトでしょう。かつてフェスで行われたコンサートには「伝説」と言われた公演が多々あります。山下達郎は、「ここを壊すのはカーネギーホールやオペラ座を壊すのと同じこと。愚行です。」と語り、当会場でのライブが二度と出来なくなるという強い思い入れからか、2008年12月~2009年4月に久々の全国ツアーを決行し、フェスティバルホールでは、2008年12月17・18日、27日・28日と4公演も行っています。浜田省吾は、「東京では日本武道館、大阪ではフェスティバルホールでコンサートをするのがミュージシャンにとってのステータスだった。」まさしさだ(さだまさし)もほとんどの大阪での公演でフェスティバルホールを使用していて、「神様が作ったホール」と称賛しています。デビュー35周年記念ツアー中に200回目の公演を迎え、それを「さだまさしデビュー35周年記念コンサートFESTIVAL HALL 200」というタイトルでライブ・アルバムにしています。まさしの他にもライブ盤のための録音が行われることも多く、ディープ・パープル「ライヴ・イン・ジャパン」、マイルス・デイヴィス「パンゲア」などは世界でロングセラーを続けています。毎年春に行われていた大阪国際フェスティバルには、世界の一流オーケストラやオペラなどが出演していました。そして、バレエ公演においては関西のメッカとされ多くの国内外のバレエ団が公演を行っていました。フェスティバルホールのイベントでよく知られていたのは、真夏8月に甲子園球場で開催される全国高等学校野球選手権大会の組み合わせ抽選会や年末の有線放送大賞でした。西地区の朝日新聞ビルの建て替えは、来年着工、2018年完成予定です。こちらも東地区と同型のビルに建て替わります。再開発もEことなのですが、少なくとも古いものの痕跡やそのイメージを街に刻んで欲しいものです。上記、フェスティバルホールに関してはWikipediaを引用しています。コチラからドーゾ。</description>
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<category>大阪市中今昔</category>
<pubDate>Sat, 21 Jan 2012 08:08:00 +0900</pubDate>

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<title>福沢諭吉生誕地</title>
<description>福澤諭吉誕生地幕末明治の大教育家福澤諭吉先生こゝに生る時に天保五年十二月十二日(西暦一八三五年一月十日)。こゝは舊豊前中津藩倉屋敷の長屋跡である。先生の父百助は一面に於いて、経學者、詩文家であったが、然も、理財の道に精通した循吏であって、金穀會計の俗役に奔命して其生涯を終った人である。彼は妻お順が、大きな瘠せて骨太な五番目の子を産んだ時「これはよい子だ、大きくなったら寺へ遣って坊主にする」と語ったと傳へられてゐる。封建門閥の世に下級士族が其子をして名を成さしめる道はこれを佛門に入らしめる以外にはなかったのであらう。當時に於いて、この子が後年、西洋文明東道の主人となり、封建的観念形態の打破に努力するに至る将来を誰が豫見し得たであらうか。昭和二十九年一月 慶應義塾社中建之題字 小泉信三撰文 高橋誠一郎書 西川寧「学問のすゝめ(がくもんのすすめ)」や「文明論之概略」などの著書、そして「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず…(学問のすゝめ)」の言葉、慶應義塾大学の創設者として知られる明治時代を代表する啓蒙思想家として活躍した福沢諭吉は、豊前中津藩士福沢百助の末子として、中津藩大坂蔵屋敷のこの地で生まれました。父、百助の急死により、母と共に中津(現・大分県中津市)へ戻った諭吉は、中津で儒学を学び、安政元年(1854)、長崎遊学を終え江戸へ上る途中、大坂の蔵屋敷へ立ち寄った際に兄にの薦めで緒方洪庵の適塾に入門し、最終的には塾頭にまで昇り詰めます。3度にわたる江戸幕府の遣外使節にも随行しました。その後、慶応4年(1868)に慶應義塾を開設しました。そして今も一万円札の肖像としても知られています。より大きな地図で 福沢諭吉の通学路 を表示福沢諭吉が、当時の中津藩屋敷から過書町(現・北浜)の適塾に通う道、通学路がどんな感じだったか…Googleマップに書き込んでみましたので「より大きな地図」を㋗してご覧ください。ああ忘れてた…人生の中で最も大切なものの中の一つ…一万円札(ユキチ)は偉大です。最後になりましたが、諭吉の学んだ適塾についてはコチラからドーゾ4946です!</description>
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<category>旧跡を巡る</category>
<pubDate>Wed, 18 Jan 2012 23:29:16 +0900</pubDate>

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<title>中津藩蔵屋敷跡</title>
<description>豊前国中津藩蔵屋舗之跡江戸時代の大坂は「天下の台所」と謳われ、物流や商業の中心地として大いに賑わっていました。諸国の米や名産品、物資や情報が行き交う中之島周辺には諸国各藩の蔵屋敷が建ち並び、最盛期には100以上の蔵屋敷が軒を連ねたと伝えられています。中津藩蔵屋敷は、石碑の立つ現在の朝日放送(ABC)の敷地とほぼ重なる位置に設営されていました。文化3年(1806)に刊行された「増脩改正攝州大阪地圖」には、堂島川河畔の田蓑橋北詰から玉江橋北詰にかけて東から順に、長岡藩、上田藩、秋田藩、壬生藩、延岡藩、中津藩の6つの蔵屋敷が描かれています。そして特筆ずベきは、ある人物がこの地に産声を上げました。天保5年(1835)12月12日、この中津藩蔵屋敷に福澤諭吉が誕生しています。中津藩蔵屋敷は現在の「ほたるまち」の一画にありました。この地は平成5年(1993)に大阪大学医学部附属病院(阪大病院)移転してからは空地の状態が続きましたが、平成20年(2008)に「"水の都"復活につながる、魅力的な水辺のまちを創造する」というコンセプトの下、「ほたるまち」が誕生しました。朝日放送(ABC)とABCホール、堂島リバーフォーラムと堂島クロスウォークがその中核施設です。上の古地図は文久3年(1863)に描かれた「國寶大阪全圖」の一部です。この頃には蔵屋敷も入れ替わり(敷地の面積は古地図ではよく見うけられる絵画的要素により実寸は測れない)、藩主である大名家の蔵屋敷をこの地域に8つ確認することができます。より大きな地図で 諸藩の蔵屋敷群-田蓑橋北詰~玉江橋北詰 を表示Googleマップで地図を作成しましたので、上の「より大きな地図」を見て下さい。文化3年(1806)、「増脩改正攝州大阪地圖」に描かれた田蓑橋から玉江橋にかけての蔵屋敷群を大まかに表現してみました。今回は豊前国中津藩跡の碑を見て頂きましたが、勘のE読者ならもうお気付きかと思います。バレバレではあるものの次回は諭吉さんについて、この地に生まれた福沢諭吉について書いてみます。天は人の上に人を…人の下に人を…4946です!「おおさか遊ぶろぐ」でこの記事をチェック！</description>
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<category>旧跡を巡る</category>
<pubDate>Sun, 15 Jan 2012 08:08:00 +0900</pubDate>

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<title>蛸の松</title>
<description>蛸の松(たこのまつ)江戸時代、中之島には諸藩の蔵屋敷が建ち並び、屋敷前には各藩自慢の松が植えられていました。人々は屋敷の白壁と川の流れに映る松の景色を楽しんだといわれています。 なかでも、堂島川のほとりの久留米藩と広島藩の境の浜の松は、枝振りが蛸の泳ぐ姿に似ていることから「蛸の松」と呼ばれる名木でした。月の夕べや雪の朝の眺めはとりわけ美しく、絶賛されました。江戸時代の「蛸の松」は地図に示す対岸にありました。明治維新後は、大阪府師範学校付属演習小学校(現大阪教育大学付属天王寺小学校)が大阪久留米藩蔵屋敷跡地に開校し、その同窓会は、この地の松に因んで「雛松会」と名付けられました。その後、「蛸の松」は次第に樹勢が衰え、明治時代も終わるころ、枯死してしまいました。その切り株は現在、大阪教育大学に大切に保存されています。このたび護岸の美化にあわせ、かっての風趣を偲んで、「蛸の松」をこの地に再現ましした。平成十六年 雛松会 　かつては堂島川の対岸、中之島の久留米藩屋敷の前に植えられていました。上図は今の建物も書き込まれているので、なかなか解りやすいです。この記事の最後にも地図を貼っていますのでドーゾご覧ください。今の大阪大学中之島センター前の中之島通の川岸にあったというコトは、阪大中之島センターは久留米藩蔵屋敷の跡地に建っているというコトです。神宗所蔵の「久留米藩大阪蔵屋敷図」に描かれた「蛸の松」の威容です。確かにたこのように見えなくもないです。神宗(かんそう)とは、大阪では有名な老舗の塩昆布(しおこぶ)屋さんです。現在の田蓑橋と「蛸の松」です。後ろに建設中の中之島フェスティバルタワーが見えます。一度、大教大の天王寺キャンパスに、当時の松の切り株がどれ程の大きさだったのか見学に行ってみましょう。より大きな地図で 蛸の松と蔵屋敷 を表示</description>
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<category>旧跡を巡る</category>
<pubDate>Thu, 12 Jan 2012 22:54:46 +0900</pubDate>

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<title>旭屋書店本店-さよならの向こう側</title>
<description>平素より旭屋書店をご利用いただきまして誠にありがとうございます。 さて、当本店ビルは老朽化が進み、平成二十三年十二月末をもちまして、建替えの為閉店させて頂くこととなりました。平成二十七年春の竣工を予定しております。 梅田の地に四十二年間営業できましたのも皆様のご愛顧のたまものと厚くお礼申し上げます。 お客様には大変ご不便をおかけいたしますが、何卒ご理解の程よろしくお願いいたします。なお、旭屋書店はなんば、天王寺、梅田・地下街、泉南、甲子園ほか近畿一円、関東、九州に店舗がございますので、今後ともご利用くださいますようお願い申し上げます。株式会社 旭屋書店旭屋書店本店は昭和44年(1969)に現在地(大阪市北区曽根崎2丁目)に開業しました。地上8階建ての自社ビルで、7階まで書店として営業していました。今後は、北側に隣接するビルの敷地と合わせて総合開発が行われ、完成した新ビル(地上102m)にテナントとして入居する予定です。特に本店で高い人気を誇る鉄道書コーナーは、旭屋書店なんばCITY店に移設され更に売り場面積を拡大しています。鉄道ファンの聖地と言っても過言ではない鉄道書売り場は7階(8階の時もあった)でしたね。やっぱり歴史のある企業にはファンがいます。旭屋の見慣れたいつもの袋を手にして一時の別れを惜しむお客さんが、閉店後も名残惜しそうにシャッターの下りた店の前に…動画をドーゾ。上記、本店の略歴に昭和44年(1969)に開業と書きましたが、実は12月末に一時閉店するこの本店の前身は、かつて国鉄大阪駅前(現・ヒルトンプラザあたり)に昭和21年(1946)に創業した旭屋商店です。主に雑貨や化粧品を扱っていた旭屋商店は開業の翌年、昭和22年に書籍を主要な商品とする「旭屋書店」として屋号も新たにスタートしました。そして、23年後の昭和44年に現在地に移転しています。僕らの親くらいの年齢の方によくこの話をきいた人も多いと思います。今や梅田は林立する大型書店により本の飽和状態にあります。最古参の旭屋書店はその梅田で負けたと捉えることもできますが、自社ビルで営業していればいつかは建替えの時期が訪れます。その時が来ただけとも言えます。梅田の他の大型書店は、その分のテナント料を毎月支払っているはずです。一般家庭で持ち家と賃貸マンションに置き換えて考えると…どっちが得か?よく分りませんが、一戸建ては建て替えもリフォームも自由にできます。いずれにせよ新しい本店がどんな風になるのか、それが楽しみです。今度は、子供たちの世代に僕らの世代の人が、「昔は8階建てのビルで…自分ら知らんかもしれんけど懐かしいわ」とか言う日が来るかもしれませんね。より大きな地図で 新旧旭屋書店本店 を表示</description>
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<category>大阪市中今昔</category>
<pubDate>Wed, 04 Jan 2012 13:13:00 +0900</pubDate>

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<title>謹賀新年 平成二十四年元旦</title>
<description>本年も不肖nao道とマイ嫁、猫のヨンコ、そして拙ブログを宜しくお願い申し上げます。何卒4946です。</description>
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<category>御挨拶</category>
<pubDate>Sun, 01 Jan 2012 09:09:00 +0900</pubDate>

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<title>Yが選ぶベスト記事-2011</title>
<description>毎年、「10大ニュース」と題してその年をふり返る記事を書いていたのですが、今年はキツイので止めにしました。その代わりに今年書いたおよそ200記事の中から、まあまあウマく書けたと思う記事のベスト10を勝手に選んでみました。厳選した?記事を自己満足度の高い順に並べてみました。時間が経つとどこか懐かしくも恥ずかしい記事ばかりですが、これが今年のYやでーーー!①大阪城が赤く燃えていた今年の拙ブログはプリトヨ抜きでは語れません。というかプリトヨに振り回された今年の前半でした。短い記事ですがシンプルでEかなと。②六代目桂文枝-いらっしゃ～い!桂三枝の六代目文枝襲名は来年の大きなトピックの一つになるでしょう。大阪検定と絡めて書くことができました。③第3回大阪検定1級解答速報今年の大阪検定解答速報は不備も多く、読んで下さった皆様のあたたかいコメント、ご指摘のもと完成しました。ありがとうございました。より大きな地図で 天王寺七坂 を表示④天王寺七坂-君は虹を見たかGoogleマップでたまに地図を作成しています。この地図では、なかなか位置関係がヤヤコシー「天王寺七坂」を解りやすく表示することができました。⑤天神さんの摂末社10 大将軍社大将軍社のことを以前から調べてみようと思いつつ、なかなか辿りつけませんでした。書いている方も飽きてくるほど延々と続いた「天神さん特集」の記事の一つです。⑥ヨンコは部屋がスキ♥ヨンコは部屋から出たことがないのに顔が真っ黒なのは日焼けのせいじゃないぜ!⑦万紀目先生@大阪国プリトヨの記事が書けたのも一重に先生のおかげです。マイ嫁をまたヨロシクお願いします。あーとー!⑧愛染まつり大阪市内の祭りといえば夏祭りがほとんどなので、カブってしまって一年に何ヶ所も廻れません。今年は愛染さん、来年は久しぶりに天神祭に行ってみようと思っています。⑨旧中央消防署今橋出張所僕にしては、珍しく写真が上手く撮れたので選びました。大阪のレトロ建築の中ではマイナーですが、消防署からイタリアン・レストランへの用途のギャップがステキです。⑩ぐるっとまわって50年-大阪環状線今年の大阪検定のテーマ「鉄道」について幾つか書いた中の一つです。「鉄道」には苦労しました…ホンマに。短いけどシンプルでE記事だと思い、選んでみました。リンクは下です。①大阪城が赤く燃えていた②六代目桂文枝-いらっしゃ～い!③第3回大阪検定1級解答速報④天王寺七坂-君は虹を見たか⑤天神さんの摂末社10 大将軍社⑥ヨンコは部屋がスキ♥⑦万紀目先生@大阪国⑧愛染まつり⑨旧中央消防署今橋出張所⑩ぐるっとまわって50年-大阪環状線今年も拙ブログに遊びに来て頂いた皆様、あたたかいコメントをくれた方々、そしてマイ嫁に感謝しつつ…今年はコレでサヨウナラ。来年も4946です。-平成二十三年・大晦日</description>
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<category>御挨拶</category>
<pubDate>Sat, 31 Dec 2011 08:08:00 +0900</pubDate>

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<title>猫の手も借りたい年末</title>
<description>皆さんはドーでしょうか?年末というのは、たいていの職種で、また家庭なんかでも何かと忙しいものです。私、不肖nao道も御多分に洩れず忙しい日々を送っています。行きたいところにはなかなか行けず、ブログの更新もできず、クリスマスイヴに仕事から帰ってきたのは11時半を越えていました。それはソーとして、少しだけ大阪の街の灯りの中を歩くこともできましたのでドーゾ!上の画像は茶屋町のイベントの模様です。新橋交差点から南船場あたりの御堂筋イルミネーションです。延々と1.9kmも続くイルミネーションのごく一部です。御堂筋のイチョウ並木がキレイにライトアップされていました。クリスマスも終わったけど、梅田のスノーマン達はとてもカワイかったです。ヨンコは、さすがに猫というだけあって忙しくはありません。猫の手も借りたい季節に人(マイ嫁)の手を枕にして寝ています。猫はヒマなほうが似合うし、人間も少しは忙しいくらいがEのかもしれませんね。しかし、今月はブログの更新回数が初めて一桁になりそうで、しかもこの調子でいくと、拙ブログは年内にあと1・2回くらいの更新になりそうです。更新が少なくなってもそれはソレで4946です。「おおさか遊ぶろぐ」でこの記事をチェック！</description>
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<category>不肖nao道の日記</category>
<pubDate>Mon, 26 Dec 2011 13:13:00 +0900</pubDate>

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<title>天王寺七坂-君は虹を見たか</title>
<description>天王寺七坂の地図を作りました。7つの坂を制覇しようとする人のために七色(赤・橙・黄・緑・青・藍・紫)を施した虹色坂マップを作成しましたのでドーゾ御覧下さい。下の地図、「天王寺七坂」をクリックして大きな地図で見てみて下さい。七坂めぐりに役立てていただければ幸いです。より大きな地図で 天王寺七坂 を表示天王寺七坂の詳細については以前に書いています。下記のリンク坂名をクリックして下さい。リンク：真言坂・源聖寺坂・口縄坂・愛染坂・清水坂・天神坂・逢坂虹色坂：真言坂・源聖寺坂・口縄坂・愛染坂・清水坂・天神坂・逢坂七色の坂を制するには最北の真言坂からスタートするのがお薦めです。地下鉄谷町線「谷町九丁目」駅から行ってみましょう!1日あれば、各坂にゆかりのある名所、生國魂神社や愛染さん、大江神社、安居天神などがありますので、それらを巡っても十分に楽しめます。上町台地には坂が多く、それを代表する天王寺七坂について久しぶりに書いてみました。上町台地が形成された地理的、歴史的要因についてはコチラからドーゾ。やっぱり、坂はオモロイです。4946!より大きな地図で 天王寺七坂 を表示</description>
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<category>大阪の坂</category>
<pubDate>Tue, 20 Dec 2011 04:32:41 +0900</pubDate>

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<title>大丸のイルミネーション</title>
<description>大丸心斎橋店のイルミネーションがキレイでした。御堂筋側壁面に設置された約4万個のLEDによる豪華なイルミネーションは、この冬だけではなく年間を通して大丸の外壁をライトアップしてくれるようです。また、このイルミネーションは、W.M.ヴォーリズ(米国)が手掛けた店舗(アメリカンゴシックを基調としたアールデコ建築)の外観に合わせ、幾何学的なパターンを組み合わせたデザインを採用しています。まるでレトロ建築の外壁に宝石で絵を描いたような…そこで思い起こすのは、そう、「宝石」といえば、ジー・ロンド氏でしょう。イルミネーションを撮影した12月15日の夜は、A感じでEお酒を楽しめました。ジー・ロンド氏と私とマイ嫁による小さな忘年会…また来年も4946です。あーとー!大阪検定とブログを通じて知り合うことができたロンドせんぱいは、宝石と郷土大阪を愛する心を持っていて、さらにFGA(英国宝石学協会会員)資格を持っています。もってる男のステキなジュエリーと興味深いエピソードが盛り沢山のブログ「宝石～この愛すべき大地からの贈り物～」はコチラからドーゾ!大丸百貨店についてはまた今度、詳しく書いてみます。その時は、ソレはそれで4946です。大きな地図で見る「おおさか遊ぶろぐ」でこの記事をチェック！</description>
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<category>大阪市中今昔</category>
<pubDate>Sat, 17 Dec 2011 17:17:00 +0900</pubDate>

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<title>伊東静雄の詩碑-住吉高校</title>
<description>曠野の歌　　伊東静雄わが死せむ美しき日のために連嶺の夢想よ! 汝(な)が白雪を消さずあれ息苦しい希薄のこれの曠野にひとしれぬ泉を過ぎ非時(ときじく)の木の實熟るる隠れたる場所を過ぎわれの播種(ま)く花のしるし近づく日我が屍骸(なきがら)を曳(ひ)かむ馬をこの道標(しめ)はいざなひ還さむあゝかくてわが永久(とは)の帰郷を高貴なる汝(な)が白き光見送り木の實照り 泉はわらひ・・・・・わが痛き夢よこの時ぞ遂に休らはむもの!いきなり古い難しい漢字が出てくるので調べてみると下記のような意味でした。曠野=あらの=手入れをせず､雑草が茂るにまかせた野原｡荒れはてた野原｡｢荒野｣とも書く。｢こうや｣と読めば、広々とした野の意になる。伊東静雄先生は諫早に生まれ、近代詩史に輝やかしい足跡を残された。昭和四年より二十八年に没せられるまでほとんどを本校国語科教諭として過ごし、誠実な授業、厳しい指導で信頼と畏敬の的であった。このたび創立六十周年を記念し、その業績と人柄を伝えようとするものである。また建碑の浄財は卒業生有志による。記して言祝ぐ。昭和五十七年十一月一日 学校長文学碑の背面の校長による説明に、読みやすくするために勝手に読点・句読点を加えました。大阪府立住吉高等学校は、伊東静雄が教鞭をとっていた頃はまだ住吉中学校(旧制)といいました。新制高等学校制度発足の年、つまり終戦後にはお隣の阿倍野高校に赴任しています。伊東静雄は、詩人としての名声を博しながらも生涯国語教師にこだわり続け、生徒を指導しました。教え子には、文学者ではありませんが、ノーベル化学賞(2008年)を受賞した下村脩(しもむらおさむ)がいます。同じく阿倍野区の松虫通にも伊東静雄の詩碑があります。それについてはコチラからドーゾ。大きな地図で見る</description>
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<category>浪花偉人列伝</category>
<pubDate>Sat, 10 Dec 2011 09:09:00 +0900</pubDate>

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