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2011年11月10日

米沢彦八の碑-生國魂神社

米沢彦八の碑-生國魂神社
生國魂神社(いくくにたまじんじゃ・いくたまじんじゃ)境内は、米沢彦八によって上方落語発祥の地とされています。

米沢彦八の碑-生國魂神社
上方落語の祖ともいうべき初代米澤彦八の名を残すべく、その碑を建立することは、我々の先輩である五代目並びに六代目笑福亭松鶴父子のかねての念願でございましたが、残念ながら両人ともその志を果たし得ぬうちに他界致しました。然るにこの度、六代目松鶴の五年忌に際し笑福亭仁鶴を筆頭とする一門がその遺志を継ぎ、彦八ゆかりの当地に「米澤彦八の碑」を建立する運びと相成りました。これを機に、上方落語への益々のご愛顧を賜りますよう皆々様にお願い申し、併せて賛同の意を申し述べさせていただきます。
平成二年九月 上方落語協会 桂小文枝
桂春団治
桂 米朝

-碑文より

上記碑文が刻まれた石碑は「米澤彦八の碑」のすぐ傍に建つ上方落語協会によるものです。
桂小文枝とは平成4年(1992)に五代目を襲名することになる今は亡き桂文枝師匠のコトです。ちなみに六代目は桂三枝師匠が継ぐことが内定しました。

米沢彦八の碑-生國魂神社

上方落語発祥の地 米澤彦八の碑

遠く寛永、正徳の砌、生國魂神社には太平記讀み、芝能、萬歳、人形操りなど諸々の藝能者が蝟集し、就中米澤彦八の芝居物真似、輕口咄はよく人の頤を解かしめ、世に彦八咄の稱を弘むるに至ったと云ふ。
享保年中初代彦八没して後も、幸いにしてその滑稽諧謔の精神は絶ゆることなく多くの名人上手輩出してよくその衣鉢を傳へ、遂に今日の上方落語の隆盛を将來した。
所謂、彦八咄の誕生より數へて凡そ三百年、茲に上方落語家相集ひ更めてその遺業を偲びその傳統を継承し、以て益々の藝道精進を誓ふべくこの碑を建立したる次第を略叙し、撰文に代ふると云爾。
平成二年九月五日 三田純市識
-碑文より

上の画像は「彦八まつり」の時のもので、御供え物が見うけられられます。

米沢彦八の碑-生國魂神社
碑文で語られる米沢彦八はドーでしたか?
上方落語の歴史はスゴイですね。マル秘



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