大阪市中央公会堂

nao道

2012年02月03日 12:12



大阪市中央公会堂(中央公会堂)

赤レンガが美しい中之島の中央公会堂は、北浜で株式仲買商を営んでいた岩本栄之助が大阪市に寄付した100万円を基金にして、指名設計競技に一等当選した建築家・岡田信一郎の設計案をもとに、辰野金吾と片岡安が中心となって実施設計を進め、5年5カ月の歳月をかけ、大正7年(1918)10月に竣工しました。
このモダン建築は、鉄骨煉瓦造、地上3階、地下1階の構造をもち、そこには、地上に1・2階の吹き抜けの大集会室、三階の中集会室、特別室(貴賓室)、小集会室などが配され、地階には開館当時からの食堂、会議室や展示室、そして岩本記念館が設けられています。
また中央公会堂は、ネオ・ルネサンス式とよばれる建築様式にバロック的な躍動感を加味した意匠で、壮大さの中に優雅さや華やかさ、やわらぎを表現してます。また日本における様式建築の習熟の過程をよく示しているとして、煉瓦を主体とした建築の到達点をかざる建築物の一つに数えられ高い評価を得ています。
平成14年(2002)、国(文化庁)の重要文化財に指定されています。


正面大アーチの屋根に、商業神「メルキュール」と、知恵・工芸・平和の象徴「ミネルヴァ」の神像を設置し、その下をステンドグラスで飾るという「復興式中準パラデアン式」と呼ばれる様式が、正面から見た中央公会堂に特徴的な印象を加えています。
この画像では判別できませんが、左がメルキュール(英語:マーキュリー)、右が女神ミネルヴァ(ミネルバ)です。


1・2階吹き抜けの大集会室は1000人以上(開館当時は2000人以上)の収容数を誇り、開館記念講演会が、大正7年(1918)11月22・23日、「憲政の神様」と称された尾崎行雄や林毅陸(はやしきろく)らを迎え行われました。その後もヘレン・ケラーやガガーリン、アインシュタイン、ゴルバチョフなど数多くの歴史的人物の講演、 イタリアやロシア歌劇団の公演、満州国皇帝溥儀(ふぎ)の奉迎会などが開催されています。
モダンなシャンデリアや金箔に覆われた舞台縁、豪華なカーテンなど、細部に至るまで創建当時の姿にこだわった、重厚で荘厳な雰囲気を味うことができます。


3階の創建当時から貴賓室として使用された特別室は、松岡壽によって「天地開闢」が描かれた天井画・壁画が特徴となっています。そこには大阪に縁の深い仁徳天皇をモチーフにした日本神話が描かれています。


3階の窓には、慶祝の象徴である鳳凰と、大阪市章「みおつくし」がデザイン化されたステンドグラスを見ることが出来ます。
和と洋を融合させた、今では再現が困難な当時の職人の技巧が施された部屋は、そのものが芸術品といわれています。


3階の中集会室はヨーロッパの宮殿の大広間を彷彿とさせる華麗なホールとなっています。
アーチ状の高い天井により、素晴らしい音響を可能にし、創建当時のまま残されている貴重なシャンデリアとステンドグラスが贅沢な空間を演出してます。



現在の中央公会堂は、平成11年(1999)に開始された保存・再生工事は、歴史的建造物としての保存と、創建当時への復元改修に加え、古い建築物に高い耐震性能を蘇らせる「免震レトロフィット構法」を採用するなど大掛かりなものとなりました。



大阪市北区中之島1-1-27
竣工:大正7年(1918)
設計:辰野片岡建築事所
構造:鉄骨煉瓦造・地下1階、銅板葺、一部スレート葺煉瓦造2階建



岩本栄之助についてはまた今度書いてみます。
今回は「大阪の観光ガイド」に欠かすことの出来ないチョー有名な、どんな本にも紹介される中之島の中央公会堂について書いてみました。


栴檀木橋(せんだんのきばし)の北端から撮影した中央公会堂です。


これが拙ブログの500回目の記事でした。1000回目は何を書いているのか想像もつきませんが、今日はこのへんでサヨウナラ。


より大きな地図で 大阪市中央公会堂 を表示

関連記事