初世中村鴈治郎生誕の地

nao道

2011年04月20日 14:06


初代中村鴈治郎は、万延元年(1860)、揚屋・扇屋の一人娘・妙と歌舞伎役者・中村翫雀との間に生れました。当たり役、「心中天網島」の改作「河庄」の治兵衛を演じて「頬かむりの中に日本一の顔」(岸本水府)とうたわれ、義太夫狂言を中心に一世を風靡し上方和事の大看板になりました。屋号は成駒屋、定紋はイ菱です。


西区・新町北公園の南西角にあるフレンチのお店・Convivialite(コンヴィヴィアリテ)さんの入口に石碑がひっそりと建っています。

大阪検定対策として少し補足すると…
初代の次男が二代目中村鴈治郎(人間国宝)で、二代目の長男は四代目坂田藤十郎(人間国宝)、長女は女優の中村玉緒です。
同時期に上方で人気を二分したのが、十一代目片岡仁左衛門です。屋号は松嶋屋、定紋は七ツ割丸に二引。
大阪検定の古典芸能分野が苦手な人でもこのくらいはオボエトコ!

アクセスは簡単です。地下鉄四つ橋、本町駅と四ツ橋駅のちょうど中間くらいです。旧大阪厚生会館前の公園の南西角です。下の地図でドーゾ。


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