伊東静雄の詩碑-住吉高校

nao道

2011年12月10日 09:09



曠野の歌  伊東静雄

わが死せむ美しき日のために
連嶺の夢想よ! 汝(な)が白雪を消さずあれ
息苦しい希薄のこれの曠野に
ひとしれぬ泉を過ぎ
非時(ときじく)の木の實熟るる
隠れたる場所を過ぎ
われの播種(ま)く花のしるし
近づく日我が屍骸(なきがら)を曳(ひ)かむ馬を
この道標(しめ)はいざなひ還さむ
あゝかくてわが永久(とは)の帰郷を
高貴なる汝(な)が白き光見送り
木の實照り 泉はわらひ・・・・・
わが痛き夢よこの時ぞ遂に
休らはむもの!

いきなり古い難しい漢字が出てくるので調べてみると下記のような意味でした。
曠野=あらの=手入れをせず、雑草が茂るにまかせた野原。荒れはてた野原。「荒野」とも書く。「こうや」と読めば、広々とした野の意になる。


伊東静雄先生は諫早に生まれ、近代詩史に輝やかしい足跡を残された。昭和四年より二十八年に没せられるまでほとんどを本校国語科教諭として過ごし、誠実な授業、厳しい指導で信頼と畏敬の的であった。
このたび創立六十周年を記念し、その業績と人柄を伝えようとするものである。また建碑の浄財は卒業生有志による。記して言祝ぐ。
昭和五十七年十一月一日 学校長

文学碑の背面の校長による説明に、読みやすくするために勝手に読点・句読点を加えました。
大阪府立住吉高等学校は、伊東静雄が教鞭をとっていた頃はまだ住吉中学校(旧制)といいました。新制高等学校制度発足の年、つまり終戦後にはお隣の阿倍野高校に赴任しています。
伊東静雄は、詩人としての名声を博しながらも生涯国語教師にこだわり続け、生徒を指導しました。教え子には、文学者ではありませんが、ノーベル化学賞(2008年)を受賞した下村脩(しもむらおさむ)がいます。

同じく阿倍野区の松虫通にも伊東静雄の詩碑があります。
それについてはコチラからドーゾ。


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