阪田寛夫「サッちゃん」の歌碑
阪田寛夫
1925年:大阪市住吉区天王寺町2279番地(現在の大阪市阿倍野区松崎町三丁目16-8)に生まれる。1930年に南大阪幼稚園入園。
1932年:帝塚山学院小学部、のち大阪府立住吉中学校(現在の住吉高等学校)に進学、中学2年生のとき、大阪南教会で洗礼を受ける。
1943年:旧制高知高等学校入学。在学中に召集を受けて、1944年大阪の歩兵部隊に入隊。1945年8月満州(現在の中国東北部)遼陽の陸軍病院で敗戦を迎える。
1951年:東京大学文学部卒業。朝日新聞大阪本社入社。約10年間、音楽番組を中心にプロデューサーをつとめ、同時に創作活動に入る。吉田豊と結婚する。
1956年:東京支社に転勤。
1959年:大中恩の誘いを受け、こどもの詩「サッちゃん」を書く。
1963年:朝日放送を退職し、作家生活に入る。以降10年間ほどNHKテレビ番組「歌のえほん」「みんなのうた」のために歌詞を書く。ひろく小説、童話、放送局合唱組曲、ミュージカル、オペラ台本などの製作に従事。
1965年:放送劇「狐に穴あり」で芸術祭奨励賞を受ける。
1967年:「花子の旅行」で久保田万太郎賞、合唱組曲「イソップ物語」で芸術祭奨励賞を受ける。
1974年:小説「土の器」で第72回芥川賞受賞。
1975年:詩集「サッちゃん」で日本童謡賞を受賞。以降、小説と詩の作品で、野間児童文芸賞、毎日出版文化賞、巌谷小波文芸賞、川端康成文学賞を受ける。
1988年:小説「天山」で日本芸術院文芸部門恩賜賞を受賞。
1989年:エッセイ「まどさんのうた」で赤い鳥文学賞特別賞を受ける。
1990年:日本芸術院会員となる。
2005年:3月22日逝去、享年79歳。
サッちゃん
サッちゃんはね サチコっていうんだ
ほんとはね
だけど ちっちゃいから
じぶんのこと
サッちゃんって呼ぶんだよ
おかしいな サッちゃん
サッちゃんはね バナナが大好き
ほんとだよ
だけど ちっちゃいから
バナナを はんぶんしか
たべられないの
かわいそうね サッちゃん
サッちゃんがね 遠くへ行っちゃうって
ほんとかな
だけど ちっちゃいから
ぼくのこと
わすれてしまうだろ
さびしいな サッちゃん阪田寛夫
上記、阪田寛夫の略歴と「さっちゃん」の歌詞は、現地碑文より原文ママで写したものです。ちなみにこの曲の作曲は、上述の略歴にも登場する大中恩氏によるものです。
チョット読みづらいかもしれませんが、この歌を読み解くにあたって重要なコトがおそらく、タブン記されています…あくまでタブンですよ。
この碑は、南大阪教会の敷地内に同教会が運営する南大阪幼稚園南端の塀の道路側にあり、道路を通る誰もが見ることができます。この教会には阪田寛夫と共にもう一人、ゆかりの深い人物(建築家)がいます。
その建築家とは、この教会の設計者であり、大阪にまさに星の数ほど煌めく現代建築を生み出したモダニズムの巨星、村野藤吾です。
調べるほどにカレのスゴさはさすがにゴイスーなので、また次回以降に書いてみます。あーとー。
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