小説「泥の河」舞台の地

nao道

2013年05月16日 21:36


幼少期を大阪で過ごした作家、宮本輝の「泥の河」は、「道頓堀川」、「蛍川」と供に「川三部作」と呼ばれる彼の代表作のひとつとなっています。そして宮本輝は、この作品で第13回太宰治賞を受賞し作家デビューしました。
戦争の傷跡を残す大阪で、河の畔に住む少年と廓舟に暮らす姉弟との短い交友を描くこの作品は、昭和56年(1981)に小栗康平監督により自主制作の形で映画化されました。



文学碑は、水都大阪の取組みである「川の駅」活性化の一環として、宮本氏の母校である追手門学院大学、江戸堀連合振興町会や一本松汽船株式会社などで構成する「泥の河」文学碑設置実行委員会の支援を得て建立されました。
以下に記した碑文は小説の一節を写したものです。

堂島川と土佐堀川がひとつになり安治川と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく。
その川と川がまじわるところに3つの橋が架かっていた昭和橋と端建蔵橋 それに船津橋である。
「あそこや あの橋の下の…ほれ あの舟や」
目を凝らすと 湊橋の下に 確かに一艘の舟が繋がれている。
だが 信雄の目には それは橋げたに絡みついた汚物のようにも映った。
「あの舟や」
「…ふうん 舟に住んでんのん?」
「そや もっと上におったんやけど きのう あそこに 引っ越してきたんや」
宮本輝 「泥の河」の一節より


僕も宮本輝の初期の頃の作品を数冊読みました。もちろん「川三部作」は全て読みました。「泥の河」と「道頓堀川」は大阪が舞台、「蛍川」は富山が舞台となっています。

上の画像は、石碑が南詰に建つ湊橋から舞台となった川とポンポン船を撮ったものです。
次回は、この湊橋について書いてみます。
まだまだ「中之島に架かる橋特集」は続きますよ。


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