2012年02月17日
あべのハルカス-そびえ中
平成26年(2014)竣工、同年開業予定のこのビルは、地下から低層階には近鉄百貨店阿倍野店や近鉄阿部野橋駅、中層階はオフィスと美術館、そして高層階には大阪マリオット都ホテルや展望台などが入る予定で、まさに多彩な顔を持つ施設となるようです。また中層階のオフィスには、地元阿倍野区に本社を構えるシャープの営業・開発部門や同じく同区に本社を置く奥村組などが入居する見通しです。
現在クレーンのある最上部までの高さはだいたい200mほどでしょうか。
JR天王寺駅の東口より20mくらい東側の歩道から撮ってみました。

もっと東側の高い場所から撮ってみました。
すでに向かいの天王寺MIO(ミオ)の倍以上の高さ…お昼時にはミオが超高層建築の影に入ってしまうのでしょう。

画像の手前、下の方にチラッと見えるのがあべの&(アンド)とあべのHOOP(フープ)です。南東から見上げたそびえ中のあべのハルカスです。
それにしても阿倍野再開発エリアには「あべの」+「カタカナまたはアルファベット」表記による名称の施設が多いです。あべのベルタ、あべのポンテ、あべのルシアス、あべのmini、そして「あべのハルカス」…お前もか!
ビルの名前が正式に発表されるまでは、阿倍野ターミナルビルタワー館という仮称で工事が行われていました。

すでに取り壊されたかつての近鉄百貨店新館です。
それにしても阿倍野再開発エリアには「あべの」+「カタカナまたはアルファベット」表記による名称の施設が多いです。あべのベルタ、あべのポンテ、あべのルシアス、あべのmini、そして「あべのハルカス」…お前もか!

ビルの名前が正式に発表されるまでは、阿倍野ターミナルビルタワー館という仮称で工事が行われていました。

「空間の魔術師」と言われた村野藤吾の作品です。現存するものは少なくなりましたが、そごう大阪店、大丸神戸店をはじめ百貨店(デパート)も数多く手がけ、その評価は非常に高いものでした。
タグ :阿倍野区
2012年02月14日
日本基督教団 南大阪教会
設計・監督は、当時まだ渡辺節建築事務所に在籍していた村野藤吾で、これが彼の処女作になります。
明治24年(1891)、佐賀県唐津市に生まれた村野藤吾は、大正7年(1918)に早稲田大学建築学科を卒業後、大阪の渡辺節建築事務所に入所し、活動の拠点を大阪に置きました。

旧礼拝堂(会堂)と塔屋(教会塔)は無事に戦火をくぐり抜けましたが、時間の経過とともに傷みが激しくなり、旧礼拝堂(会堂)を取り壊すことになりました。その際、村野は「私の長男」と呼んで強い愛着を示したというエピソードがあります。
そして昭和56年(1981)に新礼拝堂(会堂)が建築されましたが、こちらも当時90歳の村野の手によるもので、彼の宗教建築最後の作品となりました。
つまり南大阪教会は、村野藤吾の処女作である塔屋(教会塔)と最晩年の作品である新礼拝堂(会堂)とが一望できる貴重な建築物であるということができます。

村野藤吾は、モダニズムの理念と方法から出発しながら、様式性や装飾美を湛えた独自のデザインを展開した建築家として知られ、「空間の魔術師」とも言われました。

ここでは敢て彼が携わったその代表作を紹介しませんが、そのうち村野作品を年代別にまとめたリンク集を作ります。
現存しないものも多いので(モチロン今でも現役のビルも多いけど)、それが残念です。

やっぱり、「いつか見よう…」とか「いつでも撮れるからまた今度…」とかはアカンわ。E建築に街で出会ったなら、その都度、キッチリ、ハッキリ、ゴッソリ撮っとかんとアカンわなー。カタチあるものはいつか無くなりますので…
いやー参りました。村野藤吾…最近ハマった人物です。
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いやー参りました。村野藤吾…最近ハマった人物です。

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タグ :阿倍野区
2012年02月12日
阪田寛夫「サッちゃん」の歌碑
阪田寛夫
1925年:大阪市住吉区天王寺町2279番地(現在の大阪市阿倍野区松崎町三丁目16-8)に生まれる。1930年に南大阪幼稚園入園。
1932年:帝塚山学院小学部、のち大阪府立住吉中学校(現在の住吉高等学校)に進学、中学2年生のとき、大阪南教会で洗礼を受ける。
1943年:旧制高知高等学校入学。在学中に召集を受けて、1944年大阪の歩兵部隊に入隊。1945年8月満州(現在の中国東北部)遼陽の陸軍病院で敗戦を迎える。
1951年:東京大学文学部卒業。朝日新聞大阪本社入社。約10年間、音楽番組を中心にプロデューサーをつとめ、同時に創作活動に入る。吉田豊と結婚する。
1956年:東京支社に転勤。
1959年:大中恩の誘いを受け、こどもの詩「サッちゃん」を書く。
1963年:朝日放送を退職し、作家生活に入る。以降10年間ほどNHKテレビ番組「歌のえほん」「みんなのうた」のために歌詞を書く。ひろく小説、童話、放送局合唱組曲、ミュージカル、オペラ台本などの製作に従事。
1965年:放送劇「狐に穴あり」で芸術祭奨励賞を受ける。
1967年:「花子の旅行」で久保田万太郎賞、合唱組曲「イソップ物語」で芸術祭奨励賞を受ける。
1974年:小説「土の器」で第72回芥川賞受賞。
1975年:詩集「サッちゃん」で日本童謡賞を受賞。以降、小説と詩の作品で、野間児童文芸賞、毎日出版文化賞、巌谷小波文芸賞、川端康成文学賞を受ける。
1988年:小説「天山」で日本芸術院文芸部門恩賜賞を受賞。
1989年:エッセイ「まどさんのうた」で赤い鳥文学賞特別賞を受ける。
1990年:日本芸術院会員となる。
2005年:3月22日逝去、享年79歳。

サッちゃん
サッちゃんはね サチコっていうんだ
ほんとはね
だけど ちっちゃいから
じぶんのこと
サッちゃんって呼ぶんだよ
おかしいな サッちゃん
サッちゃんはね バナナが大好き
ほんとだよ
だけど ちっちゃいから
バナナを はんぶんしか
たべられないの
かわいそうね サッちゃん
サッちゃんがね 遠くへ行っちゃうって
ほんとかな
だけど ちっちゃいから
ぼくのこと
わすれてしまうだろ
さびしいな サッちゃん
上記、阪田寛夫の略歴と「さっちゃん」の歌詞は、現地碑文より原文ママで写したものです。ちなみにこの曲の作曲は、上述の略歴にも登場する大中恩氏によるものです。
1956年:東京支社に転勤。
1959年:大中恩の誘いを受け、こどもの詩「サッちゃん」を書く。
1963年:朝日放送を退職し、作家生活に入る。以降10年間ほどNHKテレビ番組「歌のえほん」「みんなのうた」のために歌詞を書く。ひろく小説、童話、放送局合唱組曲、ミュージカル、オペラ台本などの製作に従事。
1965年:放送劇「狐に穴あり」で芸術祭奨励賞を受ける。
1967年:「花子の旅行」で久保田万太郎賞、合唱組曲「イソップ物語」で芸術祭奨励賞を受ける。
1974年:小説「土の器」で第72回芥川賞受賞。
1975年:詩集「サッちゃん」で日本童謡賞を受賞。以降、小説と詩の作品で、野間児童文芸賞、毎日出版文化賞、巌谷小波文芸賞、川端康成文学賞を受ける。
1988年:小説「天山」で日本芸術院文芸部門恩賜賞を受賞。
1989年:エッセイ「まどさんのうた」で赤い鳥文学賞特別賞を受ける。
1990年:日本芸術院会員となる。
2005年:3月22日逝去、享年79歳。
サッちゃん
サッちゃんはね サチコっていうんだ
ほんとはね
だけど ちっちゃいから
じぶんのこと
サッちゃんって呼ぶんだよ
おかしいな サッちゃん
サッちゃんはね バナナが大好き
ほんとだよ
だけど ちっちゃいから
バナナを はんぶんしか
たべられないの
かわいそうね サッちゃん
サッちゃんがね 遠くへ行っちゃうって
ほんとかな
だけど ちっちゃいから
ぼくのこと
わすれてしまうだろ
さびしいな サッちゃん
阪田寛夫
上記、阪田寛夫の略歴と「さっちゃん」の歌詞は、現地碑文より原文ママで写したものです。ちなみにこの曲の作曲は、上述の略歴にも登場する大中恩氏によるものです。

この教会には阪田寛夫と共にもう一人、ゆかりの深い人物(建築家)がいます。
その建築家とは、この教会の設計者であり、大阪にまさに星の数ほど煌めく現代建築を生み出したモダニズムの巨星、村野藤吾です。
調べるほどにカレのスゴさはさすがにゴイスーなので、また次回以降に書いてみます。あーとー。

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タグ :阿倍野区
2012年02月09日
仁徳天皇陵「正辰祭」を初公開
仁徳天皇陵で「正辰祭」宮内庁が初めて取材許可 1613回目の命日
世界最大級の墳墓で、宮内庁が仁徳天皇陵に指定している堺市の大山古墳(5世紀中ごろ)で8日、仁徳天皇の没後1613回目の命日祭「正辰祭」が行われた。
皇室が祖先を慰霊する私的祭祀の一つ。全国の天皇陵や陵墓参考地など約600カ所でそれぞれ年に1度行われているが、国民の目に触れる機会はほとんどなかった。宮内庁は今回、共同通信に対し、メディアとして初めて取材と撮影を許可した。
堺市などが大山古墳を含む「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産登録を目指し、同庁に陵墓の情報公開を望む声が高まる中、天皇陵での祭祀の実態を知る貴重な機会として関心を集めそうだ。
仁徳天皇陵は3重の堀と堤に囲まれており、正辰祭は一般の人が立ち入れない最も内側の堤上にある拝所で行われた。
午前10時、同庁書陵部古市陵墓監区事務所(大阪府羽曳野市)の職員や地元関係者ら12人が手を清めた後、堀にある橋を渡り、巨大な墳丘の前方部を臨む拝所へ。
鳥居の前に設けられた台に供物の米、酒、海の幸のするめ、山の幸のリンゴとミカンと大根、塩、水を載せた五つの三方を職員が一つ一つ丁寧にささげ、参列者全員が拝礼。職員らは終始無言で、静寂が包む中、儀式は約20分で終了した。
同庁によると、供物費は皇室の私的経費である内廷費から支出される。
古代の天皇の命日は文献の没年月日を当時の太陰太陽暦から現在の太陽暦に換算。仁徳天皇は2月8日に当たるという。
学界には仁徳天皇を古代中国の史書「宋書」に記された「倭の五王」の1人とみる説や、父の応神天皇と同一人物とする説があり、墳丘の年代や被葬者像をめぐって議論が続いている。
上記は、スポニチ(Sponichi Annex)より転載させて頂きました。スポニチはんの記事はコチラからドーゾ(当たり前やけど、同じことが載ってる)。

テレビ東京はんのサイトでは、動画で祭祀の模様が確認できます。コチラからドーゾ4946です。貴重な映像です。

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タグ :堺市
2012年02月08日
OT-たみおもみじ
とういことで、「たみおもみじ」というもみじ饅頭を、お取り寄せしてプレゼントをしてみました。マイ嫁も喜んでくれました。EEE良かったYO!

奥田民生がパッケージのイラストを担当したこのもみじ饅頭は、8個入りで1000円とリーズナブルな価格設定になっています。おそらく中身とはコラボしていからだと思います。このコラボは宮島で行われた「ひとり股旅」とのカラミによって実現したのでしょう。

奥田民生は昨年10月22日、故郷の世界文化遺産、宮島・厳島神社で「ひとり股旅スペシャル@厳島神社」と題しギター弾き語りによるライブを行いました。自身の持ち歌に加え、同郷の吉田拓郎「今日までそして明日から」、Perfume(パヒューム)「レーザービーム」などのカバー曲も披露しました。また、2004年にも旧広島市民球場で弾き語りライブを行っています。

"ストレート ドキドキする 視線は まるでレーザービーム 心をしゅんわりと突き刺す の 虹色のラブビーム"

タグ :マイ嫁













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