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O-TUBE By nao道
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みんなが知ってるいつもの大阪、意外に知られていないあんな歴史こんな人物、ウソかホンマか伝説・逸話、そして大阪検定のためになる話とソーでもない記事満載のブログ。
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2016年07月16日

奥田忠次の墓-道明寺・誉田の戦い

後藤又兵衛(基次)に討たれた徳川家臣奥田忠次の墓です。右に「南都奉行奥田三郎右衛門忠次戦死の墓地」と刻まれた碑が建てられています。

玉手山古墳1号墳の上に小松家墓地があり、その一等地にこの墓が置かれています。
1号墳から見た2号墳です。結局両方、墓on墓でした。


大坂夏の陣と小松山の戦い

この付近は小松山と呼ばれ、慶長20(1615)年5月6日、豊臣、徳川最後の決戦となった大坂夏の陣で戦場となったところです。豊臣方は外濠・内濠を埋め立てられて裸城同然となった大坂城を出て河内、和泉の諸所に布陣しました。後藤又兵衛基次・薄田兼相率いる一軍は道明寺に進出して小松山を占拠しました。国分に到着した水野勝成、本多政明、伊達政宗を主力とする徳川軍との間で激戦が繰り広げられました。
翌7日には大坂城も落城し豊臣氏は滅びました。玉手山一号墳の頂には、徳川軍の先鋒として小松山に攻め上がり討死した奥田忠次と家臣5名の供養碑が建てられています。
-柏原市教育委員会

この夏は「真田『まる』」やるでー! 夏の陣やで~!

  
タグ :柏原市


Posted by nao道 at 09:09Comments(0)史跡を巡る
2016年07月15日

小松山古戦場跡-道明寺・誉田の戦い

柏原市に玉手山という小山が南北に石川に沿うようにあります。
近鉄・道明寺駅から東へ石川を渡って300メートルほど歩くと急な坂道に出て、そこから徒歩でくねくね上っていくと柏原市民体育館にたどり着き、体育館と同時に円墳が2基(玉手山1・2号墳)、目にとまります。ここが小松山で玉手山の北端付近にあたり、大坂夏の陣で後藤又兵衛(基次)隊と徳川軍諸隊の戦いの舞台となりました。

玉手山1号墳です。

2号墳には墳墓の上にお墓が…墓on墓ということです。

大坂夏の陣で豊臣方は、大坂城の堀を全て埋められてしまったため、城を出て戦わざるをえない状況になっていました。徳川側は、大和方面から水野勝成を先鋒として、総大将に松平忠輝、後見役として伊達政宗など総勢およそ34000の兵で構成されていました。対する豊臣方は、後藤又兵衛らの前隊約6400人が、その後、毛利勝永、真田幸村ら後隊約12000人が大坂城を出発して道明寺村付近に集結、国分村の狭隘な地で幕府軍を迎え撃つことを取り決めました。道明寺・誉田の戦いは、現在の大阪府藤井寺市、柏原市、羽曳野市にまたがる広範囲で繰り広げられました。

小松山付近から河内・道明寺方面を望むとこんな感じです。小山と書きましたが、実際に登ると結構高い場所で涼しかったです。
この夏は「真田『まる』」やるでー! 夏の陣やで~!


  
タグ :柏原市


Posted by nao道 at 19:25Comments(0)史跡を巡る
2016年07月03日

真田幸村(信繁)の銅像-安居神社

NHK大河ドラマ「真田丸」を観ていたら、真田幸村と大坂の陣についてもっと知りたくなりました。
今回は、夏に散った安居神社の真田幸村(信繁)の銅像です。
この神社は真田幸村終焉の地とされています。神社近くの茶臼山に陣取った幸村が境内で休息をとっていたところを襲われたということになっています。

兜をとって、何かすごくすっきりした、爽やかな表情のように見えます。

安居神社では、毎年こどもの日(5月5日)に「幸村まつり」が執り行われています。長野県の上田城甲冑隊、地元大阪城甲冑隊が参加して祭りを盛り上げてくれます。大泣き

安居神社についてはコチラからから、幸村まつりについてはコチラからドーゾ!フンッ

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タグ :天王寺区


Posted by nao道 at 00:00Comments(4)史跡を巡る
2016年07月02日

真田幸村(信繁)の銅像-三光神社

冬に勝った三光神社、夏に散った安居神社に、真田幸村(信繁)の銅像が建てられています。
NHK大河ドラマ「真田丸」を観ていたら、真田幸村と大坂の陣についてもっと知りたくなりました。
大阪には幸村終焉の地、古戦場跡、陣地跡など、また主家である豊臣家ゆかりのものがたくさんあります。

冬の陣は徳川方を押し返したので、とりあえず勝ったということで、非常に勇壮に凛々しくグワッという感じです!
隣に真田の抜け穴が…ニコニコ

次回は大坂夏の陣で幸村終焉のとなった安井神社に建てられた銅像を見てみましょう。ワーイ

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タグ :天王寺区


Posted by nao道 at 21:46Comments(0)史跡を巡る
2016年07月01日

史跡 真田の抜穴跡-三光神社

天王寺区のいわゆる真田山という丘陵に三光神社があるのは前の記事で書きましたが、この神社の最も有名な「真田の抜け穴」を今回はみていただきましょう。
伝説の抜け穴と言うよりは、いちびり精神が遺した穴、これを大阪では思い切って「史跡」と呼んでいます。えーやん!ワーイ

本殿に続く階段の左横側に「真田の抜け穴」と呼ばれる石室状の横穴が残されていて、その手前に軍配を手に勇壮な真田幸村(信繁)の銅像が建っています。

何年か前(忘れました)に、この抜け穴に一般の人が入れるという企画があり大盛況だったようです。本城に続くというのは大阪城に続くという意味でしょうけど、まあ無理やわなというのが現実的な見方だと思います。
それでも歴史というのは、史実というのは、覆されたりするものです。人の探求心は、既成概念を簡単に「まる」にするのでしょう。それが、この史跡から感じとられたサイコーの「まる」感でした。赤面

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タグ :天王寺区


Posted by nao道 at 00:00Comments(0)史跡を巡る