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O-TUBE By nao道
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みんなが知ってるいつもの大阪、意外に知られていないあんな歴史こんな人物、ウソかホンマか伝説・逸話、そして大阪検定のためになる話とソーでもない記事満載のブログ。
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2016年06月21日

三光神社

三光神社由緒略記 

創建は第十八代反正天皇の御宇にして以後神職として 武内宿弥の苗裔たる武川氏が八十六代に渉って奉仕された 当社は古来より日本全國で唯一の中風病除の神として知られ崇敬者は全國に存在し六月一日から七日まで祈願大祭あり 
又七福神の一つ寿老人(武内宿弥)を祀り毎月七日は大坂七福神巡りが盛んなり 此地はもと大坂城の出城(偃月城)の在りし 処にして慶長・元和の大坂城合戦の頃 真田幸村茲に陣し本城より此処に至るまで地下に暗道を設け今尚其のこん跡を本殿階下に 止むるより世俗に真田山の三光と称するに至れり。 
境内をはじめ宰相山公園一帯は櫻の名所にて春は宰相山公園愛護会による三光さくら祭りあり 

奉賛会のあゆみ 
昭和二十年六月一日の大空襲で社殿を始め各種建物一切と同時に氏子全域が被害を蒙り復興不可能の状態であった しかし戰後間もなく復興のため三光神社奉賛会を設立し第一期に本殿第二期に社務所第三期に拝殿第四期には本社正面大鳥居 第五期に末社。北參道大鳥居等と奉賛会役員をはじめ氏子崇敬者の総意と清き浄財により全て完成された 

昭和五十六年五月吉日 
宮司 小田禮五郎 
奉賛会会長 飯田弥三郎

当神社は、大阪城東南の丘陵(上町台)真田山に鎮座し昔は姫山神社(大昔の姫の松原の遺称)と称したが、全国的には真田山の三光の名称の方がよく知られ今では三光神社となった。
創立は仁徳天皇から三代後人皇十八代反正天皇の御宇と言い伝えられ創建以後神職として奉仕された武内宿弥の末裔武川氏(八十六代)にして今に至ると言う。-三光神社HPより

境内の寿老人像です。

真田山と言うだけあってそもそも小高い丘にこの神社は鎮座しているのですが、その地続きに宰相山公園と真田山旧陸軍墓地があります。
宰相山公園は、「まる」感たっぷりです。高低感よし塁感よし。僕はこの湾曲した土塁の層と高低差だけで、「まる」メロメロを直感しました!

有名な「史跡真田の抜穴跡」についてはコチラ、幸村公の銅像についてはコチラからお願いします。ワーイ
それとアクセス地図は、通常のマップではなくGoogleMap「大阪真田戦記マップ」を作成しましたのでご利用下さい。

  
タグ :天王寺区


Posted by nao道 at 10:10Comments(0)神社・仏閣
2016年01月01日

謹賀新年 平成二十八年元旦


本年も不肖nao道とマイ嫁、猫のヨンコ、そして拙ブログを宜しくお願い申し上げます。サル  

Posted by nao道 at 08:08Comments(3)御挨拶
2015年11月01日

内子座文楽-真夏の愛媛旅行5

今回の愛媛県の旅、最大の目的は内子座文楽を観劇することと、内子座周辺の伝統的な美しい街並みが保存された地区を歩いてみることでした。
ここ数年文楽にハマり、大阪の公演はほとんど観てきました。内子座文楽のことは三浦しおんさんの本で初めて知り、昨年からマイ嫁と作戦を練っていました。結果、E宿にも泊まれたし、美味しい食事ができて、E人たちと出会うことができました。「あーとー」と言いたいです。

演目は「義経千本桜」から「すしやの段」「道行初音旅」でした。内子座は、外見もそうなんですが、内部もすごい雰囲気でした。
かつて道頓堀で竹本座や豊竹座はこんな感じで人形浄瑠璃を上演していたんでしょう。そんなことを思いながら観ていました。
「すしや」は初めて観ましたが、やはりよくかかる演目だけあって名作だなと、いい浄瑠璃だなと思いました。さすが文楽です。

間が空きすぎて何の話か分からなくなりましたが、これで夏の旅行の話は終わりです。
もう寒くなってきたのに、今でもアツさを思い出すE旅でした。メロメロ


  
タグ :文楽愛媛県


2015年10月01日

内子町立大瀬中学校-真夏の愛媛旅行4

建築家・原広司が設計した学校建築です。宿泊先のオーナーに車(レクサス‼)で送っていただき、さらに詳しく校内を案内していただきました。
外観は、不規則なノコギリ型の屋根と水平な屋根の組み合わせのスカイライン、左右の円筒形の建物が最大の特徴です。
建築物の中に立ち入ると、打ち放しコンクリートと木造部分からなるモダニズムと和の調和による学校らしい明るく健康的な雰囲気を感じ取れますが、まるでSFの世界ような何とも言えない不思議な空間が広がっているとも言えるでしょう。

大江健三郎の小説「燃え上がる緑の木」に円筒形の「ギー兄さんの礼拝堂」として描かれた音楽室はとてもスタイリッシュです。
ちなみに大江健三郎は、原広司と親交が深く、そしてこの中学校の卒業生でもあります。

カッコイイですね。私の母校なんてもう廃校になっています。

関西で有名な原広司の建築は、京都駅と梅田スカイビルです。ヒ・ミ・ツ

愛媛県喜多郡内子町大瀬中央5880
設計:原広司+アトリエファイ建築研究所
竣工:平成4年(1992)
施工:清水建設
構造:RC造、SRC造、木造、地上1階



  
タグ :愛媛県


2015年09月26日

大江健三郎生家-真夏の愛媛旅行3

大江健三郎の小説やエッセイ、文芸時評などを読みふけっていた時期がありました。マイ嫁もそうですが、ほぼ全ての著書を読みました。
そんな話を「古久里来」さんのオーナー夫妻としていたら、オーナーが「近いですよ。良かったらお連れしますよ。」となんと夕食前に車(レクサス‼)で大江健三郎の生家を案内してくれました。
小説の風景さながらに、決して大きくない川に大きな石が見え、古い橋を渡ると木造の小ぢんまりした商家が軒を連ねる…Oh!ギー兄さん!

池澤夏樹は大江文学の特徴をこう書いています。
「この人の文学において特異なのは、この家族の外はすぐ社会であって、その間をつなぐ世間という遷移領域がないことだ。…魂があって、政治があって、その間が空っぽ。…もっとも卑俗な領域がすっぽり抜けている。」
なるほどうまいコト言うなー。確かにそんな感じがします。

私は「大江健三郎生家」と記しましたが、こちらの住宅は個人所有で、実際に居住されている方がいらっしゃいます。訪れた際には大人のマナーが求められると思います。ヨロシク4946です。ヒ・ミ・ツ

ホンマに嬉しかったです。Eことありました。メロメロ  
タグ :愛媛県


Posted by nao道 at 11:00Comments(0)不肖nao道の日記