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2011年07月07日

淀君の墓

淀君の墓
史跡・淀殿之墓は、太融寺の境内北西隅にひっそりと佇んでいます。
本物の遺骨がココに納められているかドーかは別にして、なぜ、淀君の墓が太融寺の境内にあるのでしょうか?
この地に墓が移って来た経緯を簡単に纏めてみました。

淀君の墓
大坂夏の陣に敗れ自刃した淀君の遺骨は、淀君の信仰が篤かった鴫野弁天島の弁天社(現・鴫野神社)の隣に淀姫神社として祀られ、そこに祠をつくって埋葬されていました。
しかし、明治10年(1877)富国強兵の当時、大阪城周辺の広範囲にわたり練兵場や軍需工場が造成されることになり、淀姫神社は遷座を余儀なくされ、生国魂神社に移祀されることになりました。
その際に、遺骨は豊臣家に縁の深い(大坂の陣で豊臣方についた)太融寺に納め、九輪の塔を建てました。
現在は漢文による碑が建てられ、淀君の略歴が石碑に刻まれています。九輪の塔は、太融寺とともに戦災に遭い下から3段目までを喪失しました。

淀君の墓

淀の方(永禄一〇・一五六七~元和元・一六一五)

豊臣秀吉の側室。浅井長政の長女。母は織田信長の妹お市の方。浅井氏の滅後、秀吉に養われ、天正17年淀城に入る。淀殿、淀の方と呼ばれた。淀君は後の俗称。秀頼を生み、秀吉没後は大坂城に拠り豊臣方の中心人物となる。大坂夏の陣に敗戦、秀頼と共に自刃した。
法名を大麌院英岩と寺伝にいう。明治一〇年城東鴫野より当寺に改葬された。
-現地・碑文より(原文ママ)

アクセスは下の地図でドーゾ。梅田から少し歩いて下さい。ガーン


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タグ :北区

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Posted by nao道 at 10:10│Comments(4)史跡を巡る
この記事へのコメント
淀君となぜ言うか?

徳川幕府がわざと「淀君」としたかららしいです。
「君」とは「遊郭」の女性たちのことだそうです。

ですから、人格を貶めたいためこのように「淀君」と
したわけですね。

TVやドラマの時代劇で「淀君」と出た場合には時代考証していない、いい加減なものだといえます。

さすが太融寺はちゃんとしてますね。
Posted by ダラカニ at 2011年07月07日 14:22
ダラカニさん江

なるほど。徳川家の豊臣排除は徹底してますね。

今日は、どこへも行かずに「大阪の教科書」を読み返してみました。あらためて読んでみると鉄道については3ページしか割かれてないんですね。鉄道キビシーな…心配です。
Posted by nao道 at 2011年07月07日 23:40
今日(8日)は突如、連絡があった大阪FC主催「プリンセストヨトミ大阪全停止」の集まりに行きました。夕方5時から9時半まで大手門前あたりに延べ60人の善男善女が集まりました。ブルーシートだけFCが提供で後は勝手・・・ということでした。周知期間は短かったのですがよく集まりました。よく盛り上がり2次会は「太閤」へ・・・
私は行かずに帰宅、もう寝ます。
なんとか天命を待つ・・・ですね。
ウソです。
Posted by ダラカニ at 2011年07月09日 01:11
ダラカニさん江

お疲れ様です。淀殿の記事でプリトヨを絡めていただいてありがとうございます。
今年は(去年からか?)、プリトヨの年でしたね。おかげさまでこのブログも盛上りました。
しかし2次会「太閤」さんのキャパシティーでまにあいましたかね?

おやすみなさい。
Posted by nao道nao道 at 2011年07月09日 01:36
 
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