2013年12月09日
四條畷神社
建武中興十五社は、南朝の後醍醐天皇を祀る吉野神宮(官幣大社)を筆頭に、護良親王や宗良親王などの親王を祀る官幣中社が4社、楠木正行の四條畷神社を含む10社が別格官幣社となります。別格官幣社は、南朝に忠義を尽くし戦った藤原氏、北畠氏、楠木氏ら武士の祀られた神社ということができます。
後醍醐天皇による建武の中興は、それまでの武家中心の社会を天皇中心の社会に戻そうとしたもので、明治維新によって江戸幕府から実権を取り戻し明治政府を樹立した明治天皇にとって意義深いものであり、明治以降、建武の中興に関った人々を祀る神社がその縁地などに造営されました。
四條畷神社由緒記
御祭神 贈従二位 楠木正行卿
贈正四位 楠木正時卿
従四位 和田賢秀卿
鎮座地 大阪府四條畷市南野(飯盛山麓)
創立 明治天皇の思召により明治二十二年別格官幣社に列格仰下される
末社 御妣神社 正行公御母
楠正行公は楠正成公の嫡男であり正成公の大楠公に対して小楠公と申し上げる 卿は延元元年(一三三六)湊川へ出陣をせられる父君と桜井の駅にて訣別されたが時に御年十一歳 爾来母君に孝養を尽して臥薪嘗胆読書練武に励み報恩の至情を捧げた 正平二年(一三四七)十二月後村上天皇に拝謁 国難に殉せん事を誓い如意輪堂の扉に鏃をもって決死の和歌を遺された
翌年正月敵将高師直の軍勢八幡を発し河内に至るや正行卿一族は寡兵よくこれを迎え撃ち獅子奮迅せられたが満身に創を受け遂に殉節せられた時に御年二十二歳の青年であった この正義に燃えたる小楠公の事蹟と吉野朝史の一齣は四條畷に永く留められ万古に変らぬ飯盛山は青少年の徳義昂揚を叫び老松は史蹟を語っている
上記由緒記は、境内の案内板に記された神社の説明を原文ママで写しました。
神社の御神紋には、楠木氏の家紋「菊水」が用いられています。
この摂社は1924年(大正13年)に認可がおり、翌1925年(大正14年)に造営されました。
前回の記事を見て下さい。コチラからドーゾ!
いろいろな見どころ、驚きがいっぱいのE神社でした。
一番面白かったのは、旧別格官幣社というのは明治時代に造営した言わば、有名な神社の中では比較的新しい神社であるということでした。
「なにわ七幸めぐり」の7社の一つに名前が挙げらられています。
ぜひ7社全て巡ってみましょう!
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Posted by nao道 at 21:21│Comments(0)
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