坐摩神社行宮

nao道

2010年09月15日 08:08


坐摩神社行宮 豊磐間戸・奇磐間戸神社 -由緒

御祭神 豊磐間戸神・奇磐間戸神

是地は坐摩神社の旧鎮座地であって、天正十一年(1583年)豊臣秀吉大阪築城に際し城域に当る為、現在の大阪市中央区久太郎町四丁目遷座されるまで当地に鎮座し給うた。
社傳によると神功皇后新羅よりご帰途の折この地に坐摩神を始めて奉斎され、また石上に御休息されたと伝えている。
今も境内に御鎮座石が残り、故にこの地を石町と称すともいう。
平安期熊野詣が盛んとなり、京都から摂津和泉をへて、熊野本宮に至る熊野古道沿いに熊野王子社が数多く設けられたが、淀川を船で下り最初に参詣する第一王子ともよばれる渡辺王子(別名窪津王子)社のもとの鎮座地と云う。
-由緒書(原文ママ)
読みが難しいので、私自身のためにも、難解なものを書き出してみますと、豊磐間戸=とよいわまど・奇磐間戸=くしいわまど・坐摩=いかすり・石町=こくまち、坐摩神社行宮=いかすりじんじゃあんぐう、となります。


↑写真の下の方にステンレス製の囲いがあり、その中に「鎮座石」神功皇后御休息の石という巨石があります。
カメラでは撮れませんでしたが(撮りにくかった!)、よくステンレスの囲いの中を覗くとそれらしきものがあるなー、という程度の感じでしたなー・・・石が地中に埋まりすぎているのかもしれません。

大阪市内には、窪津王子坂口王子郡戸王子上野王子、阿倍王子、津守王子がありましたが、この6社のうち現存するのは、阿倍王子神社だけです。

九十九王子(くじゅうくおうじ・つくもおうじ・きゅうじゅうきゅうおうじ)とは、熊野古道沿いに在する神社のうち、主に12世紀から13世紀にかけて、皇族・貴人の熊野詣に際して先達をつとめた熊野修験の手で急速に組織された一群の神社をいい、参詣者の守護が祈願された。したがって、その分布は紀伊路中辺路の沿道に限られる。


なので、王子とは熊野権現御子神であるので、熊野三山参詣者の保護、休憩、補給を目的として建てられたようです。
この行宮は、窪津王子旧跡と比定されています。いろいろと調べましたが・・・ほぼ確定なんでしょうね。
八軒屋浜から上陸して、第一王子社の当地で休む、そこから熊野街道(谷町筋から阿倍野筋)を通って紀州(和歌山)からの熊野古道を行く、それが江戸時代には庶民の間でも流行りになった・・・昔の人はスゴク歩く!
私の住んでいる所は阿倍王子神社のすぐ傍ですが、天満橋から家まで、よー歩きまへん

次回は、大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺-3に鎮座する現在の坐摩神社について書いてみます。

最後に、この坐摩神社行宮はナカナカ探しにくいです。
ここに行くには、天神橋南詰交差点、土佐堀通にある日本郵便近畿支社(近畿郵政局)の東隣エル・おおさか(大阪府立労働センター)の角を南にチョイです。
4946!


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