-由緒書(原文ママ)
読みが難しいので、私自身のためにも、難解なものを書き出してみますと、豊磐間戸=とよいわまど・奇磐間戸=くしいわまど・坐摩=いかすり・石町=こくまち、坐摩神社行宮=いかすりじんじゃあんぐう、となります。
↑写真の下の方にステンレス製の囲いがあり、その中に「鎮座石」神功皇后御休息の石という巨石があります。カメラでは撮れませんでしたが(撮りにくかった!)、よくステンレスの囲いの中を覗くとそれらしきものがあるなー、という程度の感じでしたなー・・・石が地中に埋まりすぎているのかもしれません。
なので、王子とは
熊野権現の
御子神であるので、
熊野三山参詣者の保護、休憩、補給を目的として建てられたようです。
この行宮は、窪津王子旧跡と比定されています。いろいろと調べましたが・・・ほぼ確定なんでしょうね。
八軒屋浜から上陸して、第一王子社の当地で休む、そこから熊野街道(谷町筋から阿倍野筋)を通って紀州(和歌山)からの熊野古道を行く、それが江戸時代には庶民の間でも流行りになった・・・昔の人はスゴク歩く!
私の住んでいる所は阿倍王子神社のすぐ傍ですが、天満橋から家まで、よー歩きまへん
次回は、大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺-3に鎮座する現在の
坐摩神社について書いてみます。
最後に、この坐摩神社行宮はナカナカ探しにくいです。
ここに行くには、
天神橋南詰交差点、
土佐堀通にある
日本郵便近畿支社(近畿郵政局)の東隣エル・おおさか(大阪府立労働センター)の角を南にチョイです。
4946!
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