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岸の姫松と住吉高校
nao道
2010年10月23日 11:48
「岸の姫松・五本松」の由来について
住吉の 岸の姫松 人ならば 幾世かへしと 問はましものを
(
古今和歌集
詠人知らず
)
江戸時代
後期の「住吉名勝図会」(
寛政
七年刊)に
帝塚山
と岸の姫松が
街道
に沿って描かれています。
この岸の姫松については「
摂津名所図会
」(寛政八年刊)に「いにしへより岸姫松と稍(しょう)することは一樹に非ず。
都て(すべて)
住江
(すみのえ)の岸の濱松をいふなるべし。
姫は讃美の詞(ことば)なり、或(あるい)は大神秘蔵(だんじんひめ)置き給ふ義ともいふ。
今
住吉街道
の東の岸、岡山なる所にあるを、むかしの岸の姫松の残なりといふは、後人附會(こうじんふくわい)の説なり。
惣じて社頭の松をいふ。」と記され、また「
摂津名所図会
大成
」(
安政
二年刊)にも
「
街道
の東の岸の岡に一むらつづきし松をいへり
是いにしへの岸の松ばらののこりなりといふ
尤(もっとも)岸のひめ松と稍することは一樹にあらず
すべて
住吉
の岸の濱松をいふなるべし」と述べられています。
住吉の
新田
ふえて 年年に あとずさりする
岸の姫松
(江戸後期の
狂歌
師
大田南畝
)
古くはこの界隈にも松原が続き、松の木が多く茂っていましたが、市街化され、今は住宅地となって、わずかに五本の松だけが本校前の道路に沿って残されました。
地域の
人々
は、説に後人付会ともありますが、岸の姫松との由縁を大切に思い、「岸の五本松」と呼んで長く親しんできました。
現代は一本が
立ち枯れ
て四本になりましたが、本校では地域の人々とともに、これらを「岸の五本松」として大切にし末長く見守っていこうと、多くの人にご協力をお願いしています。
平成二十一年三月吉日
大阪府立住吉高等学校
住吉高校
の北グラウンドのフェンス沿いに、4本の大きな松の木が植わっています。「岸の姫松」の名残ですが、市道と高校の
境界線
に位置していたため、所有がはっきりせず、手入れもあまり行き届いていなかったそうです。
2009年に、高校と
大阪市
の話し合いの結果、所有がはっきりし(上の写真の手前3本が住吉高校、奥1本が大阪市)、松の木の世話は4本とも住吉高校が学校運営費により行っています。由来などを書いた木製の掲示板を立てたのも保護・管理しているのも学校です。
2008年
ノーベル化学賞
を受賞した
下村脩
さんの母校でもあります。
さすがは
スーパーサイエンスハイスクール
です。
トミーズ雅
・
トミーズ健
も卒業生です。ドーでもAか?
上町線
(
チンチン電車
)に
姫松駅
という駅もありますが、
住吉高校
の最寄り駅は
北畠駅
となっています。4946!
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