奥田忠次の墓-道明寺・誉田の戦い
後藤又兵衛(基次)に討たれた徳川家臣奥田忠次の墓です。右に「南都奉行奥田三郎右衛門忠次戦死の墓地」と刻まれた碑が建てられています。
玉手山古墳1号墳の上に小松家墓地があり、その一等地にこの墓が置かれています。
1号墳から見た2号墳です。結局両方、墓on墓でした。
大坂夏の陣と小松山の戦い
この付近は小松山と呼ばれ、慶長20(1615)年5月6日、豊臣、徳川最後の決戦となった大坂夏の陣で戦場となったところです。豊臣方は外濠・内濠を埋め立てられて裸城同然となった大坂城を出て河内、和泉の諸所に布陣しました。後藤又兵衛基次・薄田兼相率いる一軍は道明寺に進出して小松山を占拠しました。国分に到着した水野勝成、本多政明、伊達政宗を主力とする徳川軍との間で激戦が繰り広げられました。
翌7日には大坂城も落城し豊臣氏は滅びました。玉手山一号墳の頂には、徳川軍の先鋒として小松山に攻め上がり討死した奥田忠次と家臣5名の供養碑が建てられています。-柏原市教育委員会
この夏は「真田『まる』」やるでー! 夏の陣やで~!
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