小松山古戦場跡-道明寺・誉田の戦い

nao道

2016年07月15日 19:25

柏原市に玉手山という小山が南北に石川に沿うようにあります。
近鉄・道明寺駅から東へ石川を渡って300メートルほど歩くと急な坂道に出て、そこから徒歩でくねくね上っていくと柏原市民体育館にたどり着き、体育館と同時に円墳が2基(玉手山1・2号墳)、目にとまります。ここが小松山で玉手山の北端付近にあたり、大坂夏の陣で後藤又兵衛(基次)隊と徳川軍諸隊の戦いの舞台となりました。

玉手山1号墳です。

2号墳には墳墓の上にお墓が…墓on墓ということです。

大坂夏の陣で豊臣方は、大坂城の堀を全て埋められてしまったため、城を出て戦わざるをえない状況になっていました。徳川側は、大和方面から水野勝成を先鋒として、総大将に松平忠輝、後見役として伊達政宗など総勢およそ34000の兵で構成されていました。対する豊臣方は、後藤又兵衛らの前隊約6400人が、その後、毛利勝永、真田幸村ら後隊約12000人が大坂城を出発して道明寺村付近に集結、国分村の狭隘な地で幕府軍を迎え撃つことを取り決めました。道明寺・誉田の戦いは、現在の大阪府藤井寺市、柏原市、羽曳野市にまたがる広範囲で繰り広げられました。

小松山付近から河内・道明寺方面を望むとこんな感じです。小山と書きましたが、実際に登ると結構高い場所で涼しかったです。
この夏は「真田『まる』」やるでー! 夏の陣やで~!



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