大坂夏の陣 道明寺合戦記念碑

nao道

2016年07月20日 10:10


慶長20(1615)年5月6日、道明寺において豊臣秀頼軍と徳川家康軍が会戦した。これを道明寺の戦いという。別称として道明寺合戦という。
5月5日、後藤又兵衛基次や真田左衛門佐信繁、毛利豊前守勝永は道明寺での再会を誓い、盃を交わした。又兵衛は先行して藤井寺に着くと、既に徳川軍の3万4千は国分に着いていた。翌未明、小松山において又兵衛は単独で戦いを始めた。又兵衛軍2千8百。又兵衛は奮戦したといっても衆寡敵せず潰滅し戦死する。第二陣の薄田隼人正兼相等が道明寺に到着する。3千9百の兵は同じく討死する。豊臣軍は誉田林迄撤退する。し、第三陣の真田信繁は、伊達政宗の家臣片倉小十郎重綱(後に重長)と開戦。激戦となり豊臣軍は退く。その時殿信繁は徳川軍を嘲笑する。小松山の戦いと誉田林の戦いを総称して道明寺の戦いという。
この戦いに参戦した武将は、豊臣方、後藤基次、薄田兼相、真田信繁、毛利勝永、明石全登、山川賢信、渡辺糺、北川宣勝、伊木遠雄、細川興秋、大谷吉治、井上時利、山本公雄、槙島重利、福島正守、小倉行春、宮田時定等である。徳川方、水野勝成、本多忠政、松平忠明、伊達政宗、松平忠輝、堀直寄、松倉重政、奥田忠次、丹羽氏信、桑山元晴、桑山一直、本多利長、神保相茂、稲葉紀通、古田重治、菅沼定芳、分部光信、織田信重、徳永昌重、一柳直盛、西尾嘉数、遠山友政、堀利重、村上義明、溝口宣勝等である。
-現地案内板「碑文現代語訳」より

近鉄道明寺駅前に平成26年(2014)11月18日、道明寺まちづくり協議会により地域おこしの一環として建立されました。ちょうど大坂夏の陣から400年目のことでした。

この夏は「真田『まる』」やるでー! 夏の陣やで~!


関連記事