越中井
史蹟 越中井由来
ガラシャ夫人の名だけ聞いてもどんな人なのか知らない人は多いのではないでしょうか。ガラシャは細川越中守忠興公の夫人で熱心なキリシタン信者でありました。 慶長五年(1600年)忠興公が徳川家康に従って、会津上杉を征伐に出陣した留守中、反家康の石田三成が、大名妻子たちを大阪城中に人質にしようとしたが、ガラシャ夫人は聞き入れず石田三成に取り囲まれ、ぜひもなく家来に首を打たせ家屋敷火を放ち、いさぎよく火中に果てました。
この越中井はその屋敷の台所にあったと伝えられています。昭和九年(1934年)当時地元越中町内会の人々相寄り、ガラシャ夫人の徳をしのび、顕彰碑を建立したものです。
牧村史陽先生による
碑文です。読みやすくするために読点・句読点をふりました。
補足すると、越中井の「越中」とは
細川忠興の当時の官位・越中守(えっちゅうのかみ)からとされています。大名は官位で呼ばれる事も多かったようです。
例えば
加藤清正は当時、
肥後守だったので「ひご殿」とか。なので「えっちゅう殿」の屋敷にあった井戸という意味で「越中井」と名付けられています。
昭和初期まで「越中町」という町名が存在していました。現在の住所は大阪市中央区森ノ宮中央となっていて風情はありませんが、この近くの越中公園にその名を残しています。
大阪府指定の史蹟なので意外に有名ではないでしょうか?所在地が分かりにくいだけなのではないでしょうか?
この記事の下の方に詳しい地図を載せますのでドーゾ。地図で分かると思いますが、道路がこの史蹟を避けるようにグッと曲がっています。そして地図では分からない坂道になっています。E坂やなー。
アクセスは下の地図を参考にして下さい。大きな地図で見ていただけるとより分かりやすいかと思います。
谷町線谷町4丁目駅(A地点)から徒歩で現地(B地点)まで10分程度です。JR
森ノ宮駅・
中央線、
長堀鶴見緑地線森ノ宮駅から歩いても同程度の距離ですが、
中央大通はココからだと上り坂なので・・・ガンバレ!
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