川崎東照宮の神輿蔵-星合の池
川崎東照宮の神輿蔵
元和二年(一六一六)に徳川家康が没した翌年現在の造幣局から滝川小学校あたりに川崎東照宮が建立されました
明治六年(一八七三)に廃社された後にその神輿蔵は当宮に移築されました
軒瓦に葵の御紋が見えます-現地案内板・原文ママ
大阪天満宮北側に隣接する「星合の池」の畔にひっそりと建つ神輿蔵、確かに「丸に三つ葉葵」徳川家の家紋がくっきりと刻まれています。
徳川家康を祀る東照宮は、日光東照宮を筆頭に全国各地にその分霊が祀られ、その数はおよそ500社にのぼりました。江戸幕府直轄地であった大坂では、家康の死の翌年にあたる元和3年(1617)、大坂城主の松平忠明(家康の外孫)が天満・川崎(現・大阪市北区天満1丁目あたり)に川崎東照宮を造営しました。
しかし、明治新政府発足以降、反徳川の風潮が高まる明治6年(1873)、川崎東照宮は廃社となってしまいます。その遺構の一部である神輿蔵がこの地に移築されました。
また今度、川崎東照宮跡(現・大阪市立滝川小学校あたり)の記事を書きます。その時には、川崎東照宮のゆくえをもっと詳しく書いてみようと思っています。
次回は同じく「星合の池」に鎮座する祖霊社について書きます。4946!
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