舎密局跡とハラタマ博士像

nao道

2011年10月27日 13:13



史跡 舎密局跡

明治二年五月一日政府はこの地に物理化学を専攻する舎密局という学校を開設した。この場所はその遺跡の一部である。この学校はその後度々名称を変えて明治十九年第三高等中学校となり明治二十二年八月京都市吉田に移り明治二十七年九月から第三高等学校となった。現在の京都大学の教養部である。この樟樹は舎密局の生徒が憩う緑陰として当時からあったという。
-昭和三十四年四月三十日府指定
昭和五十四年十二月 大阪府教育委員会
三高同窓会建之



K.W.ハラタマ博士
Dr.Koenraad Wolter Gratama(1831~1888)   

明治二年(一八六九)五月大阪府によりオランダ人化学者クーンラート・ウォルテル・ハラタマを教頭とする舎密局(せいみきょく)がここから二百メートル北の大手前通一帯に開設された。舎密とは化学の意である。舎密局は明治時代のわが国で最初に開かれた理化学校でハラタマによりこの国の近代化に必須の自然科学の教育が行なわれた。日本の初期の化学研究の多くはこの舎密局に端を発している。舎密局はその後、理学校と改称され、明治五年に閉校されてその任を終えたが、その流れから京都舎密局、大阪司薬場、第三高等学校が生まれた。日蘭交流四百年を記念して、ここに日本の化学の父ハラタマ博士の像を遺し、その功を永世に伝えたい。


上記解説は、大阪府警察本部南西(本町通沿い)の繁みに建立された石碑に記された碑文を原文ママで写したものです。


緑の繁みの中心には舎密局址と刻まれた大きな石碑が建っています。

最後になりましたが、「舎密局=せいみきょく」と読んで下さい。
ずっと「しゃみつきょく」と思っていたアナタ…実は私もそう読んでいました。
「せいみ」は、オランダ語で化学を意味し「セミー」と発音する「Chemie」の当て字です。


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