佐賀藩蔵屋敷跡

nao道

2013年08月11日 12:03

江戸時代、その水運の利便性から天下の台所と呼ばれた大坂・中之島に諸藩は年貢米の換金や産物の売りさばきのため、蔵屋敷を建てそこへ搬入、一時管理にあたっていました。そのなかでも大きな蔵屋敷には舟が屋敷内へ直接入れるよう水門、船入が設けられていました。
平成2年(1990)、大阪高等裁判所構内で地下駐車場の工事のとき佐賀・鍋島藩蔵屋敷跡が発掘調査され、長大な船溜(船入)・屋形・米蔵などの並ぶ様子が確認されました。
堂島川の北側、東西にちょうど水晶橋から鉾流橋にかけて大阪高等裁判所の広い敷地があります。この広大な敷地が肥前佐賀藩蔵屋敷跡です。平成23(2011)、にここから江戸時代最高峰とされる同藩特製の磁器「鍋島」約350点が出土しました。珍しいものでは、入れ歯なども見つかりました。武家の社会ではその入れ歯は飾り用、見栄のために付けていたといわれています。


幕末の最後の最後に倒幕に舵を切った佐賀藩だったが、鍋島は佐賀藩主の鍋島家が将軍などへの献上を目的に採算度外視で作っていた磁器で、一般にはほとんど流通しておらず、遺跡から多量に出土するのは非常に珍しかったようです。

明治5年(1872)、廃藩置県のときそれら蔵屋敷は払い下げられたましたが、その数はなんと135にも及んでいたといいます。


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