久宝寺橋

nao道

2010年11月16日 10:10


橋名は伝説的な寺の名前に由来しています。久宝寺という寺が船場の側にあったという言い伝えがあります。しかし、その位置は定かではなく、「浪華百事談」にも「往昔此地に久宝寺といえる寺院有りし故に、其名ののこれるものとは碑に伝うれども、何れの地に有りしや、浪花の古図にも証すべきものを見ず」とあり、他説では、道頓堀川が開削されたとき、河内(現・八尾市)の久宝寺から多くの人夫が来て、この地に集落ができたためともいわれています。
久宝寺橋は豊臣時代から架けられていたと推測されています。久宝寺橋は町橋で、近隣の町々で維持管理が行われていた。江戸時代の規模は、橋長が二四間三尺一寸三分(49.2m)となっており、幅員は二間(3.9m)でした。このあたりは人家の密集地で、しばしば大火に見舞われていて、その際の橋の被災は免れませんでした。
江戸時代から明治の初めにかけては、橋の構造にはほとんど変化はなく、五径間の木橋でしたが、約6mと幅は拡げられた。
久宝寺橋が現在の構造形式になったのは昭和14年で、橋長41.5m、幅員12.6mとなり、三径間のゲルバー式の鉄筋コンクリート桁が適用されました。



久宝寺橋から船場を西へ伸びる通り(南久宝寺町1~4丁目)は現在でも商店街問屋街)になっていて、昔ながらの繊維問屋街になっています。


こんなレアな住所表示を発見しました。この辺りの旧町名は、大阪市南区問屋町やったんですな・・・こうゆうのを見付けるとテンション上がります。
久宝寺橋から東へ伸びる町通りは、最初に材木町、続いて内久宝寺町4~3丁目、谷町5丁目交差点で谷町筋法円坂2丁目、上町交差点で上町筋を超え、難波宮跡の南端まで続きます。



橋長:42.31m
幅員:12.50m
形式:ゲルバー桁橋
完成:昭和14年
行政区:中央区
河川名:東横堀川
アクセス大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線松屋町駅1番出口、大阪市営地下鉄堺筋線中央線堺筋本町駅3番出口徒歩9分


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