船津橋

nao道

2013年06月26日 14:07


船津橋は元禄年間、堂島の開発に伴って新しく架けられた堂島川五橋(大江橋・渡辺橋・田蓑橋・堀江橋・船津橋)の一つです。この五橋は、元禄五橋ともいわれ古い歴史をもっています。
湊橋は、小倉藩の蔵屋敷のすぐ西側に架けられ、船津橋も中之島をはさんでほぼ同じ位置に架けられたが、のちに少し下流に、新しい築地のほぼ中央部と福島を結ぶ位置に移動されたものと考えられています。


江戸時代にすでに架橋されていたこの橋は、四三間半一尺(86m)、幅員二間(3.9m)の規模であったことが記録されています。
明治18年(1885)の大洪水では大きな被害を受け、船津橋は橋のかたちを残したまま下流へ流され、安治川橋に引っかかって水を塞き止める形になり、周辺の民家に大きな被害を与えたと言われています。
戦前から進行していた西大阪一帯の地盤沈下は戦後になってさらに拍車がかかり、台風時の高潮によって大きな被害を受けることとなりました。このため戦後、高潮対策事業が実施されたが、この中で橋梁の嵩上げ工事も行われることとなり、下中之島の橋も昭和30~40年代に嵩上げや架け替えが行われました。船津橋も同時期に架け替えられ、橋長76.5m、幅員24.0mの三径間ゲルバー式鋼床版桁の現在の橋になりました。


大阪市中央卸売市場が南詰にあるため、大きなトラックがこの橋を行き来します。


船津橋と端建蔵橋は中之島の最西端で事実上繋がっています。船津橋と兄弟のような端建蔵橋については以前この橋シリーズのなかで書いています。コチラからドーゾ!

これで「中之島に架かる橋特集」はお終いです。
次回はおさらいですよーーー。お楽しみに!!!



橋長:76.5m
幅員:24.0m
形式:桁橋
完成:昭和38年(1963)



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