玉江橋

nao道

2013年06月20日 22:20



玉江橋

この橋の架かる堂島川に、本格的な架橋が始まったのは元禄初期(1690ころ)と考えられる。この玉江橋も、そのころから堀江橋の名で架かっていた。その後、元禄11年(1698)になって堀江川が開削され、そこに同名の橋が架けられたので、玉江橋に改名されたという。
当時の堂島川は、大川につぐ大きな川幅をもち、安永9年(1780)の記録によると橋長約90.1m、幅員約4.1mの規模をもつ反りの大きい橋であった。江戸時代、この橋の南詰めに薬師堂があって、縁日には多くの人出で賑わった。参詣の人々は、橋の上からその延長方向(南東方向)を見ると、はるかかなたに四天王寺の五重塔が望見できたので、橋上から遥拝する慣習があった。高層建築物に囲まれた今日では、想像もできない情景であるが、当時の名所図会の類には多く登場している。
現在の橋は、昭和4年9月の第一次都市計画事業によって橋長77.0m、幅員12.3mの橋に架け替えられた。それ以後、地盤沈下対策で、昭和42年に約2m嵩上げすると同時に、下流側に橋長78.8m、幅員10.0mの橋が新しく架けられた。
平成10年 大阪市


橋の袂にある顕彰碑の碑文と錦絵のプレートの画像を使わせて頂きました。
この橋から四天王寺までは、直線距離でおよそ5kmとそれほど遠い距離ではなく、当時高く反った形状の玉江橋と上町台地に位置する四天王寺・五重の塔の間に今のような高層建築がなかったことから、実際に肉眼で見ることが可能だったと言われています。


江戸時代、玉江橋の北には肥後藩や中津藩の蔵屋敷があり、南には久留米藩の蔵屋敷があったそうです。
は碑の北詰、朝日放送(ABC)前に豊前中津藩蔵屋敷跡と福沢諭吉生誕地の碑が設置されています。
福沢諭吉生誕地については以前書きましたのでコチラからドーゾ!



橋長:上流側76.98m 下流側78.76m
幅員:上流側13.0m 下流側12.25m
形式:桁橋
完成:上流側昭和4年(1929) 下流側昭和44年(1969)



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