末吉橋
末吉橋は、南蛮貿易で活躍した平野の豪商末吉孫左衛門が私費で架けたと言い伝えられています。その末吉家の別邸が橋の西詰にあったとも言われています。江戸時代の末吉橋は町橋で、橋筋の町々の醵金によって維持されていました。
末吉橋は明治43年、市電第3期線の事業で、鋼橋になり、その後、大阪市の第一次都市計画事業によってコンクリート製のアーチ橋が架けられました。隣接した長堀川の安綿橋(現存しない)と同じデザインになっており、統一性のある風景を作っていました。戦後、長堀川が埋め立てられとき、拡幅されて今日に至っています。
今の
長堀通(
国道308号線の一部)は昭和35年(1960)から昭和46年(1971)まで、12年間がかりで
長堀川を埋め立てて開通した道路です。
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長堀川は、
東横堀川から分流し、途中で、これも現在は埋め立てられて
四ツ橋筋になっている西横堀川と交差し
木津川に到達する
堀川(運河)でした。
長堀川に架けられていた橋は、東横堀川に架かる
末吉橋の少し下流から、安綿橋、板屋橋、長堀橋、藤中橋、中橋、
三休橋、
心斎橋、新橋、佐野屋橋、
炭屋橋、
吉野屋橋、西長堀橋、宇和島橋、
西大橋、富田屋橋、問屋橋、白髪橋、鰹座橋、新鰹座橋、玉造橋、高橋、洲崎橋、累計で22ヶ橋もありました。
その22の橋名の中には、
バス停や長堀川に沿った
市電の停留所の名前になったものもあります。
末吉橋を一番東として、ここから西に板屋橋、長堀橋、三休橋、心斎橋、佐野屋橋、
四ツ橋、宇和島橋、問屋橋、白髪橋、鰹座橋、玉造橋と橋名のつく
停留所が12も連なっていました。
長堀川が埋め立てられる前は、長堀通は末吉橋通と呼ばれていて、橋の東側にある交差点は、かつては「末吉橋交差点」、バスやかつての市電の停留所名も「末吉橋」でしたが、平成8年(1996)末吉橋交差点の地下に
大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線松屋町駅が開業した際に、交差点名とバス停留所名は「
松屋町」に変更されました。
そして、
長堀鶴見緑地線の駅名には、東から、長堀橋、
心斎橋、
四ツ橋、
西大橋、
西長堀と4つの橋の名前が残りました。
「○○橋」という大阪の地名・町名・駅名・道路の交差点名などは、とても多いです。しかし、昔はもっと多かったんですね。
まだまだ「橋特集」は今月末まで続きます。4946!
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