瓦屋橋
瓦屋橋は元禄時代の中期以降に初めて架けられたものと考えられている。この地は徳川幕府から瓦の土取場として上町台地西辺の地、約46000坪を借り請けた御用瓦師・寺島藤右衛門の請地でした。当時、橋の東詰め一帯は南瓦屋町(今の中央区瓦屋町付近)と呼ばれ、付近は積み出しの船で賑わっていました。
江戸時代は橋長約38メートル、幅員約3.8メートルの木橋で、約15年おきという周期の早い架け替えが行われており、町橋として橋筋の町々により維持されてきました。
近代橋になったのは、昭和7年で橋長37.7メートル、幅員6.5メートルの鋼桁橋となりました。昭和41年3月架け替え、昭和45年3月歩道部拡幅され、平成10年橋面改装し現在に至ります。
徳川家に縁故の深かった寺島藤右衛門、尼崎屋又右衛門、山村与助の3人は、当時「大坂三町人」と呼ばれていました。
寺島家は
紀伊国粉河寺島の出身で、寺島姓はこれに由来しています。初代三郎左衛門は瓦職を家業とし、
豊臣家から瓦の
御用を受け、後に徳川家からも瓦御用を仰せつけられました。2代惣左衛門は
元和元年(1615)、大坂南瓦屋町に屋敷地を拝領しました。3代五郎兵衛の後、4代藤右衛門のとき、
寛永7年(1630)にその屋敷地の東北続きの土地に瓦土取場が与えられ、これを瓦屋藤右衛門請地といいました。
その後
明治維新に至るまで、寺島家は瓦専売権の特権を引き続いて所有し、
禁裏、
大坂城、
二条城そのほか多数の神社・仏閣などの瓦御用を勤め、
江戸時代大坂の門閥的特権
町人として活躍した人物です。
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