オオサカジン

日記/一般 日記/一般   | 大阪市

新規登録ログインヘルプ


O-TUBE By nao道
nao道
nao道
みんなが知ってるいつもの大阪、意外に知られていないあんな歴史こんな人物、ウソかホンマか伝説・逸話、そして大阪検定のためになる話とソーでもない記事満載のブログ。
コメント・TB、お待ちしております。4946!!!
COUNTER
< 2024年04月 >
S M T W T F S
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
WEEKLY-RANKING
 › O-TUBE › 史跡を巡る › 後藤又兵衛基次之碑-道明寺・誉田の戦い
2016年07月17日

後藤又兵衛基次之碑-道明寺・誉田の戦い

後藤又兵衛基次之碑-道明寺・誉田の戦い
この石碑は柏原市の玉手山(玉手山公園)の山頂付近にあります。
NHK大河ドラマ「真田丸」では、哀川翔が演じる後藤又兵衛、どんな感じになるのか楽しみです。

後藤又兵衛としだれ桜

後藤又兵衛基次は、一五六〇年四月十日兵庫県加西市で、後藤基国の次男として生まれた。
槍の名人として、黒田孝高とその子長政に仕え、長政の九州博多へ着任に伴い一万六千石の大隈城主となった。その後、時代の変化につれ、自ら城を捨てて浪人となったが、一六一四年大坂冬の陣には、亡き秀吉の恩義に感じ、劣勢の秀頼に応援すべく豊臣方へ加勢し、木村重成とともに河内付近で徳川方と奮戦し、恐れられた。
一時、和睦となったが一六一五年再び大坂夏の陣が始まり、堀を埋められた大坂方は、徳川軍の大軍を河内の峠で迎え撃つべく、五月六日未明、又兵衛は自ら先陣として約三千の手勢を連れて、この山まで来たが既に徳川方の先陣二万余の軍勢は、国分へ到着していたので、大坂方の二番手薄田隼人等の軍を待てずに、戦いの火ぶたは切られた。又兵衛の軍は奮戦したものの、多勢に無勢、遂に又兵衛は敵弾に当たり、自決し側近の吉村武右衛門が介錯してその首は、この地の西北の片山・深田へ埋めさせた。翌七日大坂城は落城した。(五十六歳)
豪傑、後藤又兵衛が義に感じ花と散ったこの地に、「しだれ桜」を植えて、昔を偲び歴史を永く後世に伝えると共に、柏原市の名所にしたいと念ずるものである。
-現地「しだれ桜」の案内板より

この石碑の近くにしだれ桜が植樹されていて、その桜の案内板から原文ママで写しました。非常に解りやすくまとまった文章です。
桜は夏でしたのでさいていませんでしたが、また春におとずれたいです。

後藤又兵衛基次之碑-道明寺・誉田の戦い
吉村武右衛門も又兵衛と同様、筑前福岡藩主黒田長政との確執から浪人となり、大坂城に入り夏の陣では先鋒として戦い、この地に散りました。

この夏は「真田『まる』」やるでー! 夏の陣やで~!



タグ :柏原市

同じカテゴリー(史跡を巡る)の記事画像
鴫野古戦場碑-鴫野・今福の戦い
大坂夏の陣 道明寺合戦記念碑
奥田忠次の墓-道明寺・誉田の戦い
小松山古戦場跡-道明寺・誉田の戦い
真田幸村(信繁)の銅像-安居神社
真田幸村(信繁)の銅像-三光神社
同じカテゴリー(史跡を巡る)の記事
 鴫野古戦場碑-鴫野・今福の戦い (2016-07-27 11:11)
 大坂夏の陣 道明寺合戦記念碑 (2016-07-20 10:10)
 奥田忠次の墓-道明寺・誉田の戦い (2016-07-16 09:09)
 小松山古戦場跡-道明寺・誉田の戦い (2016-07-15 19:25)
 真田幸村(信繁)の銅像-安居神社 (2016-07-03 00:00)
 真田幸村(信繁)の銅像-三光神社 (2016-07-02 21:46)

Posted by nao道 at 08:08│Comments(0)史跡を巡る
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。