
2015年11月01日
内子座文楽-真夏の愛媛旅行5

ここ数年文楽にハマり、大阪の公演はほとんど観てきました。内子座文楽のことは三浦しおんさんの本で初めて知り、昨年からマイ嫁と作戦を練っていました。結果、E宿にも泊まれたし、美味しい食事ができて、E人たちと出会うことができました。「あーとー」と言いたいです。
かつて道頓堀で竹本座や豊竹座はこんな感じで人形浄瑠璃を上演していたんでしょう。そんなことを思いながら観ていました。
「すしや」は初めて観ましたが、やはりよくかかる演目だけあって名作だなと、いい浄瑠璃だなと思いました。さすが文楽です。

間が空きすぎて何の話か分からなくなりましたが、これで夏の旅行の話は終わりです。
もう寒くなってきたのに、今でもアツさを思い出すE旅でした。
「すしや」は初めて観ましたが、やはりよくかかる演目だけあって名作だなと、いい浄瑠璃だなと思いました。さすが文楽です。
もう寒くなってきたのに、今でもアツさを思い出すE旅でした。

2015年04月29日
二代目吉田玉男襲名披露口上
文楽は永い歴史をもつ舞台芸術なので、5代を超える大きい名前がたくさんあります。それにもかかわらず、今回の吉田玉男襲名はわずか二代目というのが初代の凄さでしょう。一代で「玉男」の名前を大きくした初代は戦後文楽のスーパースターだったということがよくわかります。
このたび、文楽座の師匠・先輩方、初代玉男師匠のご子息のお許しを得、文楽協会、日本芸術文化振興会にご賛同をいただきまして、来年4月大阪公演、同5月東京公演にて師匠の名跡を継がせていただき、二代吉田玉男を襲名することといたしました。
昭和43年の入門以来、約半世紀をかけて「女」から「男」へと変わります。年月が過ぎるごとに、師匠の芸の大きさを実感する一方で、師匠のされてきたことが私にそのまま出来るとは思いませんが、師匠の解釈を継承し、またこれまでの経験を活かし、これからも一層精進を重ねて参ります。
今後は師匠がどんな役でも醸し出していた色気を出せるよう、また少しでも幅広い役を手掛け、これまで経験のある役であっても、新しい玉男の舞台は変わったねとお客様に言っていただけるよう、精一杯力を尽くしたいと思います。私も60を過ぎましたが、これからが勝負だと考えていますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
昭和43年の入門以来、約半世紀をかけて「女」から「男」へと変わります。年月が過ぎるごとに、師匠の芸の大きさを実感する一方で、師匠のされてきたことが私にそのまま出来るとは思いませんが、師匠の解釈を継承し、またこれまでの経験を活かし、これからも一層精進を重ねて参ります。
今後は師匠がどんな役でも醸し出していた色気を出せるよう、また少しでも幅広い役を手掛け、これまで経験のある役であっても、新しい玉男の舞台は変わったねとお客様に言っていただけるよう、精一杯力を尽くしたいと思います。私も60を過ぎましたが、これからが勝負だと考えていますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
吉田玉女
-平成26年(2014)10月27日シェラトン都ホテル大阪(大阪・天王寺区)
人形浄瑠璃文楽 平成27年4月文楽公演
第1部(午前11時開演)
靭猿(うつぼざる)
吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露 口上
襲名披露狂言
一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)‐熊谷桜の段/熊谷陣屋の段
卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)‐平太郎住家より木遣り音頭の段
第2部(午後4時開演)
絵本太功記(えほんたいこうき)-夕顔棚の段/尼ヶ崎の段
天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)-紙屋内の段
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)‐火の見櫓の段

タグ :文楽
2015年04月24日
一谷嫩軍記
4月文楽公演では、二代目吉田玉男の襲名披露狂言として上演されています。
一谷嫩軍記
熊谷直実は一谷の合戦で息子の小次郎と同年輩の平敦盛を討ったことに無常を感じ、出家したいという俗説の真相に迫るのがこの作のねらいです。宝暦元年(一七五一)十二月大坂豊竹座で初演、作者の並木宗輔(千柳)の絶筆です。熊谷は初代玉男の当たり役のひとつで、新玉男にとっては大阪の本公演では初演です。
熊谷桜の段
物語の鍵となる制札の説明からはじまり、熊谷夫婦の意外な過去と敦盛の母藤の局との関係が明らかになり、運命の糸に引き寄せられるように、熊谷の陣屋に人々が集まって来ます。
熊谷陣屋の段
わが子の敵と迫る藤の局に、熊谷は敦盛を討ち取った状況を物語り、軍記物語の世界が鮮やかに再現されます。一方この間、藤の局・相模双方の反応を熊谷は探っていますが、その意味は後半に判然とします。義経の御前で、首実検に供える熊谷が制札とともに差し出した敦盛のは、小次郎のものでした。熊谷は制札の文言に込められた義経の意向を酌み、小次郎を身代わりにして敦盛の命を守ったのです。義経により弥陀六は前身を宗清と明かされ、現在と過去が繫がります。この芝居の中では中世の軍記物語の人物は、近世の封建社会に生きる人間で、武士道を貫くため人としての幸せを犠牲にし、その苦しみを業として受け止めて生きて行くのです。

人形浄瑠璃文楽 平成27年4月文楽公演
第1部(午前11時開演)
靭猿(うつぼざる)
吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露 口上
襲名披露狂言
一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)‐熊谷桜の段/熊谷陣屋の段
卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)‐平太郎住家より木遣り音頭の段
第2部(午後4時開演)
絵本太功記(えほんたいこうき)-夕顔棚の段/尼ヶ崎の段
天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)-紙屋内の段
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)‐火の見櫓の段

時代物の名作を観ると、やっぱり文楽は面白いなと実感できます。
一谷嫩軍記
熊谷直実は一谷の合戦で息子の小次郎と同年輩の平敦盛を討ったことに無常を感じ、出家したいという俗説の真相に迫るのがこの作のねらいです。宝暦元年(一七五一)十二月大坂豊竹座で初演、作者の並木宗輔(千柳)の絶筆です。熊谷は初代玉男の当たり役のひとつで、新玉男にとっては大阪の本公演では初演です。
熊谷桜の段
物語の鍵となる制札の説明からはじまり、熊谷夫婦の意外な過去と敦盛の母藤の局との関係が明らかになり、運命の糸に引き寄せられるように、熊谷の陣屋に人々が集まって来ます。
熊谷陣屋の段
わが子の敵と迫る藤の局に、熊谷は敦盛を討ち取った状況を物語り、軍記物語の世界が鮮やかに再現されます。一方この間、藤の局・相模双方の反応を熊谷は探っていますが、その意味は後半に判然とします。義経の御前で、首実検に供える熊谷が制札とともに差し出した敦盛のは、小次郎のものでした。熊谷は制札の文言に込められた義経の意向を酌み、小次郎を身代わりにして敦盛の命を守ったのです。義経により弥陀六は前身を宗清と明かされ、現在と過去が繫がります。この芝居の中では中世の軍記物語の人物は、近世の封建社会に生きる人間で、武士道を貫くため人としての幸せを犠牲にし、その苦しみを業として受け止めて生きて行くのです。
-平成27年「4月文楽公演」パンフレットより
人形浄瑠璃文楽 平成27年4月文楽公演
第1部(午前11時開演)
靭猿(うつぼざる)
吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露 口上
襲名披露狂言
一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)‐熊谷桜の段/熊谷陣屋の段
卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)‐平太郎住家より木遣り音頭の段
第2部(午後4時開演)
絵本太功記(えほんたいこうき)-夕顔棚の段/尼ヶ崎の段
天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)-紙屋内の段
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)‐火の見櫓の段

タグ :文楽
2015年04月23日
卅三間堂棟由来
卅三間堂棟由来
後白河法皇と霊場熊野との関係を解く三十三間堂の縁起と念仏行者平太郎の熊野参詣説話を融合した「祇園女御九重錦」から、輪廻転生した夫婦の因縁と家族の別れに絞った部分をご覧いただきます。
平太郎住家より木遣り音頭の段
進ノ蔵人の訪問は、法皇の病平癒のために建立する三十三間堂の棟木にするため、柳の大木を伐り出す途中のことで、お柳の心を動揺させます。
夢うつつの平太郎に、お柳は自分の正体を、平太郎が前世で梛(なぎ)の木であった時連れ添った柳の精と明かします。夫婦親子の恩愛を訴える平太郎の声に、一度は姿を消したお柳は再び姿を現し、出世の種となる法皇の前世の髑髏を託します。平太郎とみどり丸親子が、お柳との別れを惜しむ木遣り音頭の部分は、義太夫節の名曲のひとつです。
-平成27年「4月文楽公演」パンフレットより
第1部(午前11時開演)
靭猿(うつぼざる)
吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露 口上
襲名披露狂言
一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)‐熊谷桜の段/熊谷陣屋の段
卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)‐平太郎住家より木遣り音頭の段
第2部(午後4時開演)
絵本太功記(えほんたいこうき)-夕顔棚の段/尼ヶ崎の段
天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)-紙屋内の段
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)‐火の見櫓の段
タグ :文楽
2015年04月21日
靭猿
靭猿
狂言「靭猿」が近松門左衛門作「松風村雨束帯鑑」の劇中劇として伝えられたもの。野遊山に出た大名と太郎冠者は猿曳きに出会います。大名の要求に屈した猿曳きは、断腸の思いで猿に手をかけようとしますが、芸をはじめる猿の様子に奇跡が起こります。御幣を持った猿の舞いは、猿曳きが行っていた武家の厩の厄払いをうつしたものです。
-平成27年「4月文楽公演」パンフレットより
人形浄瑠璃文楽 平成27年4月文楽公演
第1部(午前11時開演)
靭猿(うつぼざる)
吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露 口上
襲名披露狂言
一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)‐熊谷桜の段/熊谷陣屋の段
卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)‐平太郎住家より木遣り音頭の段
第2部(午後4時開演)
絵本太功記(えほんたいこうき)-夕顔棚の段/尼ヶ崎の段
天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)-紙屋内の段
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)‐火の見櫓の段

タグ :文楽
2015年04月18日
天網島時雨炬燵‐紙屋内の段
天網島時雨炬燵‐紙屋内の段
享保五年(一七二〇)十月の紙屋治兵衛と紀国屋小春の心中を扱った近松門左衛門作「心中天網島」は、同年十二月大坂竹本座で初演され、浄瑠璃・歌舞伎共通の題材となり、人物像や趣向に工夫が加えられました。「紙屋内」の前半は、「心中紙屋治兵衛」、後半は「置土産今織上布」から再構成されたものです。
治兵衛の恋敵の太兵衛は、治兵衛と小春の仲を裂こうとは謀っていますが、ちょんがれ節で治兵衛のことを謳う伝界坊が来合わせ、企みを孫右衛門に暴かれてしまいます。
小春を思い切ったはずなのに、ふぬけた様子の治兵衛。炬燵に伝わる夫の涙を見つけたおさんは、男の未練に愕然とし、妻としての恨み言がこぼれます。相手の受け答えに反応し、人物の感情が変わってゆくのです。"親にも替えぬ恋"を諦めた小春の態度に感じたおさんは、小春の命を救うため、子どもの衣類を質種にする辛さに胸が詰まります。夫婦の苦心を破綻させた五左衛門の言動には含みが持たされています。
治兵衛と小春は夫婦の盃を水盃で交わし、未来が暗示されます。五左衛門の本心は、孫お末の白無垢に認めた文の読み上げで分かる技巧が施されています。おさんの出家を知り、夫婦の感情は高まるものの、治兵衛が太兵衛らを手にかけてしまうため、心中する運命から逃れられないことになります。
-平成27年「4月文楽公演」パンフレットより
人形浄瑠璃文楽 平成27年4月文楽公演
第1部(午前11時開演)
靭猿(うつぼざる)
吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露 口上
襲名披露狂言
一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)‐熊谷桜の段/熊谷陣屋の段
卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)‐平太郎住家より木遣り音頭の段
第2部(午後4時開演)
絵本太功記(えほんたいこうき)-夕顔棚の段/尼ヶ崎の段
天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)-紙屋内の段
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)‐火の見櫓の段

タグ :文楽
2015年04月16日
絵本太功記
絵本太功記
読本「絵本太閤記」の刊行を背景に、寛政十一年(一七九九)七月、大坂道頓堀若大夫芝居で初演、近松柳(やなぎ)ほかの合作。武智(史実の明智)光秀の悲劇と真柴久吉(羽柴秀吉後の豊臣秀吉)の活躍を発端から十三段で構成。今回は光秀の一族が崩壊する十段目の上演です。
夕顔棚の段
尼ヶ崎に隠棲している光秀の母さつきの下に嫁操と孫十次郎の許嫁初菊が訪れ、嬉しくも哀しい祝言への期待が高まります。尼ヶ崎で秀吉が寺に逃げ込み、入浴した逸話を元にした旅僧姿の久吉、追う光秀が姿を現します。
尼ヶ崎の段
初陣を前に死を覚悟した十次郎と、妻として最初で最後の勤めとなる鎧支度をする初菊。女ばかりの参列者の中で二人は夫婦の杯を交わしますが、哀しくも切ない時間は陣太鼓の音に打ち切られてしまいます。風呂が沸いたのでさつきは旅僧に先に入るように勧めます。
光秀は自らの最期を連想させる竹槍で母を手にかけ、母は主殺しの罪の深さを責めます。操も悲痛な思いをクドキたて諫めますが、光秀は志を曲げません。父の安否を確かめようとした十次郎までも息絶えようとし、初菊の嘆きも頂点に達すると、さすがの光秀も落涙するという大落としの部分が全編の山場です。
-平成27年「4月文楽公演」パンフレットより

人形浄瑠璃文楽 平成27年4月文楽公演
第1部(午前11時開演)
靭猿(うつぼざる)
吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露 口上
襲名披露狂言
一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)‐熊谷桜の段/熊谷陣屋の段
卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)‐平太郎住家より木遣り音頭の段
第2部(午後4時開演)
絵本太功記(えほんたいこうき)-夕顔棚の段/尼ヶ崎の段
天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)-紙屋内の段
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)‐火の見櫓の段

タグ :文楽
2015年04月14日
伊達娘恋緋鹿子‐火の見櫓の段
伊達娘恋緋鹿子‐火の見櫓の段
安永二年(一七七三)四月大坂豊竹此吉座の初演、作者は菅専助ほかの合作。江戸の八百屋の娘お七が放火の罪で処刑されたのは天和三年(一六八三)。お七の罪は火の見櫓の半鐘打ちとし、華やかな演奏と独特な櫓上がりの演出で、冬の寒さとお七の熱い情念が鮮やかに演じられます。
-平成27年「4月文楽公演」パンフレットより
人形浄瑠璃文楽 平成27年4月文楽公演
第1部(午前11時開演)
靭猿(うつぼざる)
吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露 口上
襲名披露狂言
一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)‐熊谷桜の段/熊谷陣屋の段
卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)‐平太郎住家より木遣り音頭の段
第2部(午後4時開演)
絵本太功記(えほんたいこうき)-夕顔棚の段/尼ヶ崎の段
天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)-紙屋内の段
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)‐火の見櫓の段
舞台もEけど、最大の演出は人形が梯子を上る場面です。三人の人形遣いが動かしている美しい人形を、どうやって客席に背中を向けて梯子を上らせ、きれいに見せるのでしょうか。三人の人形遣いは通常は基本的に人形の背後にいて、人形の首や両手や両足を三人で分担して動かしています。その人形が背中を向けてはしごを上るとなると、客席からは人形遣いしか見えなくなってしまいます。しかし、文楽はここで驚くべき技を見せてくれます。ここでは秘密にしておきますが、文楽ファンならずとも必見です。

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2015年02月09日
吉田玉女、二代目吉田玉男襲名
初代玉男が磨きをかけ得意とした熊谷次郎直実を二代玉男が大阪の本公演では初めて遣う注目の公演になります。
今後は師匠がどんな役でも醸し出していた色気を出せるよう、また少しでも幅広い役を手掛け、これまで経験のある役であっても、新しい玉男の舞台は変わったねとお客様に言っていただけるよう、精一杯力を尽くしたいと思います。私も60を過ぎましたが、これからが勝負だと考えていますので、どうぞ宜しくお願いいたします。」
大阪・国立文楽劇場の鏡開きの挨拶に立った玉女は、そんなことを語っていました。
玉女の同期には桐竹勘十郎と吉田和がいて、持ち味は違うが、芸に脂がのりきった三人が今後の文楽を牽引していくでしょう。

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2015年02月06日
吉田玉男の墓
生國魂神社の近く、銀山寺に吉田玉男のお墓を訪ねました。
玉男の当たり役は、これに限りません。玉男・簑助コンビで上演された「心中宵庚申」の半兵衛役も当たり役となりました。
私が訪れた日には、線香が立ち、新しいお花が供えられていました。関係者はもちろんのこと、多くのファンの方がお参りされているのでしょう。
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