オオサカジン

日記/一般 日記/一般   | 大阪市

新規登録ログインヘルプ


O-TUBE By nao道
nao道
nao道
みんなが知ってるいつもの大阪、意外に知られていないあんな歴史こんな人物、ウソかホンマか伝説・逸話、そして大阪検定のためになる話とソーでもない記事満載のブログ。
コメント・TB、お待ちしております。4946!!!
COUNTER
< 2025年04月 >
S M T W T F S
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
WEEKLY-RANKING
 › O-TUBE › 古今芸能・文学
2015年01月21日

冥途の飛脚

人形浄瑠璃文楽「冥途の飛脚」の鑑賞ガイド(あらすじを含む)を以下に記します。
冥途の飛脚
題材は、宝永六年(一七〇九)頃に起こった亀屋忠兵衛の横領事件で、作者の近松門左衛門は、登場人物の行動を時に批判的に、時に哀れみを籠めた表現で描いています。初演は大坂竹本座で、正徳五年(一七一一)七月以前と推定されています。
主人不在の操業の危うさが描かれるうち、忠兵衛が登場します。催促に来た八右衛門も遊び仲間で、戯れに贋小判、贋証文の作成に加担してしまうなど、後の悲劇を思わせます。花街の灯りに心乱れ、魂が抜けてゆく忠兵衛の様子は、"羽織落とし"と呼ばれる演出で表現されます。
梅川を慰める浄瑠璃の演奏は、名妓夕霧が遊女には誠意はないとの批判に反論する「三世相」(近松門左衛門作)の利用で、梅川の心情を代弁するものです。花街はハレの場所、見栄と粋を最も大事とするところです。忠兵衛は自分ばかりか、好きな女までも侮辱されたと思い込み、小判の封印を切ってしまうのです。封印を途中で切ってしまうことは、公金を横領したのと同じことです。忠兵衛に翻意を促すために、梅川が自分は身を落としても忠兵衛を養うと言うクドキがききどころみどころです。獄門への踏み出してしまった忠兵衛は横領金を湯水のように浪費するばかりです。すべてを打ち明けられた梅川は忠兵衛と運命を共にすることを誓い、作者は"男"と"女"と表現していた二人を"夫婦"と呼ぶのです。
みぞれ交じりの雨の中、夫婦は駕籠に同乗し、忠兵衛の故郷大和の新口村へ向かいます。死に直面して、人の子としての弱さ、親への懐かしさが胸に湧く思いを描きます。
-平成27年「初春文楽公演」パンフレットより


国立文楽劇場開場30周年記念
人形浄瑠璃文楽 平成27年初春文楽公演

第1部(午前11時開演)
花競四季寿(はなくらべしきのことぶき)-万才・海女・関寺小町・鷺娘
彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)-杉坂墓所の段/毛谷村の段
義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)-道行初音旅

第2部(午後4時開演)
日吉丸稚桜(ひよしまるわかきのさくら)-駒木山城中の段
冥途の飛脚(めいどのひきゃく)-淡路町の段/封印切の段/道行相合かご


昨年の初春文楽公演はこの後の段、改作にあたる「傾城恋飛脚-新口村の段」が単独で上演しました。雪のちらつく大和の故郷に忠兵衛が梅川を連れて逃げる場面がキレイでした。雪


大きな地図で見る
  
タグ :文楽


Posted by nao道 at 13:13Comments(0)古今芸能・文学
2015年01月12日

義経千本桜-道行初音旅

人形浄瑠璃文楽「義経千本桜-道行初音旅」の鑑賞ガイド(あらすじを含む)を以下に記します。
義経千本桜-道行初音旅
延享四年(一七四七)十一月大坂竹本座初演の「義経千本桜」は、源義経の都落ちの謎と平家一門のその後を描く全五段の時代物です。四段目の「道行初音旅」は、静御前が愛する源義経の元へ向かう道のりを描く趣向です。静の舞は白拍子(男装で歌舞を演じた女芸人)ならではの舞で、護衛役の佐藤との連れ舞、忠信が語る八島の戦物語が繰り広げられます。この忠信の振る舞いに奇妙な点があるのは、静が義経から賜った鼓を慕う、神通力を得た狐が化身したものだからです。花盛の吉野山を背景に、はなやかで豪快な語りと三味線の演奏で、道行物の醍醐味が味わえます代表作です。

-平成27年「初春文楽公演」パンフレットより


国立文楽劇場開場30周年記念
人形浄瑠璃文楽 平成27年初春文楽公演

第1部(午前11時開演)
花競四季寿(はなくらべしきのことぶき)-万才・海女・関寺小町・鷺娘
彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)-杉坂墓所の段/毛谷村の段
義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)-道行初音旅

第2部(午後4時開演)
日吉丸稚桜(ひよしまるわかきのさくら)-駒木山城中の段
冥途の飛脚(めいどのひきゃく)-淡路町の段/封印切の段/道行相合かご


桜の木陰に入った「白狐」が、「人間」佐藤忠信に変わるシーンは文楽ならではの趣向でした。
演奏と、舞踊は正月ならではの華やかなもので、大変面白かったです。メロメロ  
タグ :文楽


Posted by nao道 at 22:47Comments(0)古今芸能・文学
2015年01月08日

文楽劇場の鏡開き

国立文楽劇場の初春公演(1月3日~26日)は恒例の鏡開きで幕を開けました。
文楽人形による鏡開きは、30年前の開場以来毎年行われており、新春の大阪の風物詩となっています。
今年は、4月文楽公演で二代目吉田玉男を襲名する吉田玉女が挨拶の後、詰めかけた文楽ファンにお酒を振舞いました。

劇場の理事長、文楽協会理事長、そして文楽座技芸員を代表して玉女さんの挨拶があり、その後、黒門市場から「にらみ鯛」として縁起物の2匹の立派な鯛が届けられました。

人形を遣っているのは、吉田玉佳さんと吉田一輔さんです。公演では見ることができない黒衣の人形遣いさんの顔も見ることができました。

大阪ならではの華やかなお正月ですね。サクラ
今年もヨロシク‼ひつじ


大きな地図で見る
  
タグ :文楽


Posted by nao道 at 00:05Comments(0)古今芸能・文学
2014年12月03日

面売り

人形浄瑠璃・文楽「面売り」の鑑賞ガイド(あらすじを含む)を以下に記します。
面売り
野澤松之輔の作詞・作曲により昭和十九年(一九四四)十月大阪四ツ橋文楽座で初演されました。大道芸人おしゃべり案山子(かかし)の言い立てに合わせ、面売り娘が面を替えて踊り抜きます。面は天狗・福助・ひょっとこ・おかめですが、ひょっとこの件の「ズンベラ節」は、幕末から流行っていた俗曲を取り入れたものです。
-平成26年「初春文楽公演」パンフレットより

人形浄瑠璃文楽 平成26年初春公演
第1部(午前11時開演)
二人禿(ににんかむろ)
源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)-九郎助住家の段
傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく)-新口村の段

第2部(午後4時開演)
面売り(めんうり)
近頃河原の達引(ちかごろかわらのたてひき)-四条河原の段・堀川猿廻しの段
壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)-阿古屋琴責の段


これは去年の初春公演で、観ていなかった第2部、午後の部に上演された演目です。
この演目もまたいつか、新春に観てみたいです。超未来予習でした。メロメロ
  
タグ :文楽


Posted by nao道 at 10:10Comments(0)古今芸能・文学
2014年11月14日

双蝶々曲輪日記

人形浄瑠璃文楽「双蝶々曲輪日記」の鑑賞ガイド(あらすじを含む)を以下に記します。

双蝶々曲輪日記
近松門左衛門作享保三年(一七一八)正月大坂竹本座初演「山崎与次兵衛寿の門松」、同十年正月大坂豊竹座初演の「昔米万石通」の人物を用い、大坂市内と近郷を舞台に、全九段に再構成した世話浄瑠璃で、二代竹田出雲、三好松洛、並木千柳による合作です。外題(題名)は、濡髪長五郎と放駒長吉に共通する"長"の音と、二組の遊女とその情婦の物語を読み込んでいます。

堀江相撲場の段
大相撲の関取濡髪とにわか力士の放駒の関係は、濡髪が贔屓筋の身請け話のために放駒に勝を譲った事でこじれてしまいます。

大宝寺町米屋の段
米屋の跡取りながら、家業は姉のお関に任せてきょう侠客気取りの長吉は、仲間を家へ引き入れてしたい放題です。
濡髪と放駒の出入りが決着しようとするところへ、長吉に脅された、物を取られたという人々が現れ、絶体絶命の長吉にお関が真実を語ります。血を分けた姉と、対立していた濡髪の意見が通じ、長吉は分別を付け、濡髪と義兄弟になります。

難波裏喧嘩の段
与五郎は吾妻と足抜けの罪を犯した挙句、難波裏で郷左衛門に捕まってしまいます。駆け付けた長五郎は郷左衛門の凌辱に耐え兼ね、ついに郷左衛門に手をかけ、お尋ね者になってしまうのです。

橋本の段
与五郎は吾妻を連れて、妻のお照の実家橋本の治部衛門は娘可愛さと武家の体面を守るため、娘を離縁するなら二人を匿うつもりです。
与五郎の父与次兵衛は与五郎に厳しく当たる一方で、治部右衛門に対する気兼ねからお照を連れて帰るつもりです。二人の仲裁に入った駕籠舁こそ、吾妻の実父甚兵衛でした。元は一軒の店を構えた程の人物で、娘に身を引くことを迫ります。ところが吾妻にも女として与五郎に恩を受けた義理から別れることができません。吾妻の心根が治部右衛門、与次郎に、信条を曲げてまで子の為に出来ることを探らせます。

八幡里引窓の段
石清水八幡宮に近い八幡の里。明日に迫る放生会と月見の支度に忙しい元代官南方十次兵衛宅。母と嫁のおはやが留守を守る家へ長五郎が現れます。長五郎の意味ありげな言葉は母の心に影を落とします(通称"欠け椀")。
放蕩者であった与兵衛は、新領主の命令で現地に詳しい元代官の家筋として親の名を継ぎ、その仕事始めが長五郎探索の夜の番になりました。全てを察している十次兵衛に、母は長五郎の人相書を売ってくれと頼みます。人として守るべき行動(義理)と人間本来の感情の間で揺れる母は、血の繋がりよりも義理の関係を優先します。その行動が、十次兵衛に意外な行動をとらせるのです。引窓から差す仲秋の名月・放生会と秋の風物が劇の進行に重要な役割を果たしています。

-平成26年「11月文楽公演」パンフレットより


平成26年度(第69回)文化庁芸術祭主催
国立文楽劇場開場30周年記念
人形浄瑠璃文楽 平成26年11月文楽公演

第1部(午前11時開演)
双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)
堀江相撲場の段/大宝寺町米屋の段/難波裏喧嘩の段
橋本の段/八幡里引窓の段

第2部(午後4時開演)
奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)
朱雀堤の段/環の宮明御殿の段/道行千里の岩田帯/一つ家の段/谷底の段


まだ観ていないので、予習編としてあらすじを写しました。この作品は歌舞伎でも人気があるそうです。
文楽の世話物をまだまだたくさん観劇したいです。
11月22日が楽しみやわ。ニコニコ


大きな地図で見る
  
タグ :文楽


Posted by nao道 at 11:11Comments(2)古今芸能・文学
2014年11月12日

奥州安達原

人形浄瑠璃文楽「奥州安達原」の鑑賞ガイド(あらすじを含む)を以下に記します。

奥州安達原
陸奥国の豪族安倍氏を陸奥守源頼義・義家親子が討伐した戦(前九年の役)が終結した後を舞台とし、一族の再興を企てる安倍一族と源氏駆け引き、男たちの大望の陰で耐える女たちを描く五段構成の大作です。初演は宝暦十二年(一七六二)九月大坂竹本座で、作者は近松半二ほか。文楽劇場での三段目と四段目の上演は平成二年以来です。

朱雀堤の段
都の中心から離れた朱雀堤、闇夜にうごめく人間模様は、三段目・四段目の双方に繋がる伏線です。

環の宮明御殿の段
帝の弟環の宮の誘拐事件の手掛かりは、宮付きの女官吏の内侍に宛てた書状のみ。宮の守役平傔仗・浜夕夫婦は次女敷妙(八幡太郎義家の妻)の口上から敵味方に別れても敷妙を離縁しないという八幡太郎の意志を察します。そこへ八幡太郎が姿を現します(通称"敷妙上使")。
八幡太郎が公家桂中納言を交えて外が浜の南兵衛と称する安倍宗任を取り調べます。八幡太郎の厳しい究明、歌を詠ませる中納言の意図、源氏の白旗に、矢の根で血染めの歌(「平家物語」剣巻に掲載)を認める宗任の豪胆と、歌をめぐる問答にも謎が込められています。(通称"矢の根")。
父傔仗の窮状を知った長女の袖萩は、娘お君を連れて御殿に推参します。親の許さぬ恋を貫き家を出た袖萩は、夫と生き別れるうちに視力を失い、祭文で生活する身の上。武家の対面を守らねばならない親は、娘に祭文の演奏を命じます。破れ三味線で訴える袖萩、現在の境遇を幼いながらも弁えたお君の振る舞いが哀れを誘います(通称"袖萩祭文")。
袖萩は息子の清童の病死を知らされ、貞任の妻として八幡太郎に繋がる傔仗を討てと宗任に迫られます。ところが父の傔仗は切腹し、娘の袖萩も自害するという悲劇を迎えます。八幡太郎の周到な計略により、書状を手に入れたものの、桂中納言は貞任と正体を表すことになります(通称"貞任物語")。

道行千里の岩田帯
岩田帯は妊婦が安産を願って付ける帯の事。八幡太郎の密命を受けた生駒之助・八重幡姫に恩義を感じる恋絹夫婦は、新たな生命と共に、恋絹の故郷に向かいます。

一つ家の段・谷底の段
各地に伝わる鬼婆伝説の中でも能「安達原」(黒塚)を再現する趣向で、鬼婆岩手が残虐な行為を重ねる理由が物語の中核となっています。
最期を迎える恋絹の心残りは胎内の子の事でしたが、岩手は迷いなく水子を犠牲とします。岩手の意志の強さは亡夫の遺志を継ぎ、息子たちと共に国を興すことにあったのです。全ては十握の宝剣を探索する八幡太郎の掌中あったことを悟った岩手は、自らが手にかけた娘恋絹と孫の許に赴くことを選びます。
新羅三郎義光は義家を補佐する存在で、貞任から剣を受け取り、戦場での再会を約束します。

-平成26年「11月文楽公演」パンフレットより


平成26年度(第69回)文化庁芸術祭主催
国立文楽劇場開場30周年記念
人形浄瑠璃文楽 平成26年11月文楽公演

第1部(午前11時開演)
双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)
堀江相撲場の段/大宝寺町米屋の段/難波裏喧嘩の段
橋本の段/八幡里引窓の段

第2部(午後4時開演)
奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)
朱雀堤の段/環の宮明御殿の段/道行千里の岩田帯/一つ家の段/谷底の段


一番上の画像は、一つ家の段で桐竹勘十郎が遣う岩手という鬼婆が娘を殺す迫力のある場面です。
この物語にいろんな要素が詰まっていて見応えがありました。舞台の演出も良かったと思います。
それではサヨウナラ。拍手  
タグ :文楽


Posted by nao道 at 17:02Comments(0)古今芸能・文学
2014年11月10日

文楽研修見学会

一昨日、マイ嫁と私は、国立文楽劇場で開催された文楽研修見学会に参加してきました。
約一時間という限られた時間ではあったものの、技芸員が指導する研修風景を直に見ることが出来る貴重な体験ができました。
最初に見せて頂いたのは、豊松清十郎さんによる人形遣いの実技研修です。技芸員の清十郎さんが主遣いをしながら研修生2人に足遣いの稽古をつけていました。足遣いだけで10年以上の修業が必要とされる文楽の人形遣いは大変奥の深い芸なのだなと思いました。若い研修生たちにまるで親のように清十郎さんは接しているように見えました。それは、厳しくも丁寧に反復して教える印象からだと言えます。
続いて太夫の稽古では、竹本千歳大夫さんが研修生に指導する様子です。技芸員である千歳大夫さんと対面に座った研修生の相三味線は、技芸員の豊澤龍爾さんでした。テレビで観た竹本住大夫さんが弟子につける稽古風景からすると、太夫の実技研修はそれほど怖いものではなかったものの、それでも厳しいものに感じられました。しかし、人形遣いの研修と同じように丁寧に反復、何度も同じところを一人で語らせたり、技芸員が一緒に語ったりと、丁寧な指導が印象的でした。
最後に、今年の三業の研修生の中に三味線がいなかったため、前出の豊澤龍爾さんが文楽の三味線について解説してくれました。
それぞれの実技研修の後には、技芸員に対する質問と応答の時間があり、そこでも各技芸員さんは非常に丁寧に優しく質問者の問いに答えていました。
 
14時30分から約1時間の研修見学が終わると、大阪商工会議所さんに頂いた「心斎橋・本福寿司」さんの大阪寿司を食べ、いよいよ11月文楽公演第2部「奥州安達原」を観劇することとなりました。
弁当は、大阪の箱寿司、そして文楽鑑賞、まるで昔の船場の旦那になったような気分でした。

マイ嫁が商工会議所主催の大阪検定2級試験に見事合格したことは、以前お伝えしました。その合格特典は数種類ありましたが、私たちは11月8日の文楽鑑賞(文楽研修見学・弁当付き)を迷わず選択しました。チケット代は実費でしたが、もともと11月文楽公演は観劇するつもりだったので、この際ドーでもEことでした。

商工会議所、大阪検定のこの企画はとても充実していて楽しい時間を過ごすことが出来ました。
まあそれはそれとして、マイ嫁が2級合格したから、頑張って勉強したから味わえたE時間でした。あーとー!メロメロ

  
タグ :文楽


Posted by nao道 at 10:10Comments(0)古今芸能・文学
2014年10月20日

稲荷社文楽座跡


難波神社と文楽

植村文楽軒が当社境内に人形浄瑠璃の小屋を開いたのは、文化8年(1811)のことで、その後一時移転、安政3年(1856)再び当地に復帰した頃から「文楽軒の芝居」と呼ばれるようになった。
明治5年(1872)、三世文楽軒の時に新開地の九条に移ったが、同17年に三味線の豊澤団平を擁する「彦六座」が当社北門に開場して人気を集めたため、文楽軒も近くの御霊神社境内に小屋を移して対抗した。
彦六座は、明治31年、団平が舞台で倒れたため解散、小屋は「稲荷座」としていろいろな興行に利用されたが、同45年取り壊された。


境内の案内板の説明文に句読点や西暦を加え、一部平仮名を漢字で表記した。
案内板は境内にありましたが、石碑は御堂筋側(神社東側)鳥居の脇に据えられています。

なぜ、難波神社(なんばじんじゃ)に石碑が建てられているのに、稲荷社文楽座と、稲荷という名前が付けられたかというと、昔の難波神社の境内は今に比べてかなり広く、そのため境内末社の稲荷神社も敷地が広く立派で、場所も船場という土地柄、稲荷信仰が篤かったため人々は、「博労町のお稲荷さん」「お稲荷さん」として親しんでいたからです。

今も稲荷神社は、難波神社の境内に末社として存在しています。
人形浄瑠璃の一派、文楽座が今の「文楽」になるまでには紆余曲折あります。その歴史もドラマになりますね。メロメロ

  
タグ :中央区


Posted by nao道 at 18:18Comments(0)古今芸能・文学
2014年08月26日

「曽根崎心中」ゆかりの地


曽根崎心中ゆかりの地

此世のなごり。夜もなごり。死ににゆく身をたとふれば
あだしが原の道の霜。一足づつに消えて行く。
夢の夢こそ哀れれなれ。
あれ数ふれば暁の。七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の。鐘の響の聞きおさめ。
寂滅為楽と響くなり。

中略

苦しむ息も暁の、知死後につれて絶え果てたり。誰が告ぐるとは曽根崎の、森の下風音に聞え。
取伝へ貴賎群集の回向の種。
未来成仏疑ひなき恋の。手本となりにけり。
近松門左衛門作「曽根崎心中」より

元禄16年4月7日、堂島新地天満屋抱えの「お初」と、内本町平野屋手代「徳兵衛」が、当社天神の森にて情死し、近松門左衛門により「曽根崎心中」として劇化され、歴史に残る大成功をおさめた。
以後当社が「お初天神」と通称されるに至る所以である。
近松の名文により、広く民衆の涙を誘うこの作品は、その後も幾度となく繰返し上演され、今日でも人々の回向が絶えず、恋の成就を願う若人が数多く参拝される。
この碑は、「曽根崎心中 お初 徳兵衛 ゆかりの地」として、恋に殉じた二人を哀れみ、有志により建立されしもの也。
-現地案内板より

文楽や歌舞伎で有名な話ですね。近松門左衛門は、元禄の日本のシェークスピアと呼ばれています。当時の事件をすごく早く、的確に取材し、またそれをすごく早く、的確に物語、戯曲に仕立て上げています。近松なしに今の文楽はありえなかったかもしれませんね。

この石碑がある露天神社(お初天神)は今や恋の神様となり、なんとなく愛染さんと方向性がかぶっているような…ハート

  
タグ :北区


Posted by nao道 at 22:22Comments(0)古今芸能・文学
2014年07月30日

女殺油地獄

人形浄瑠璃文楽「女殺油地獄」の鑑賞ガイド(あらすじを含む)を以下に記します。

女殺油地獄
近松門左衛門作、享保6年(1722)七月大坂竹本座初演とされます。同じ頃油屋の女房殺しの事件が歌舞伎でも演じられたらしく、元になった事件があったことが推測されています。江戸時代を通じて再演の記録はなく、近代になって戯曲研究の面から再評価され、俳優によって試演されることになりました。人形浄瑠璃文楽では八世竹本綱大夫・竹澤弥七の作曲により豊島屋油店の段がラジオ放送にて初演された後、昭和37年(1962)四月道頓堀文楽座で徳庵堤・河内屋が野澤松之輔の作曲により通して舞台化されることになりました。他の近松の作品と同様に当時の社会体制が物語の根底にあり、また晩春から初夏の季節感が主人公の行動に深く関連付けられています。

徳庵堤の段
五月初めの野崎参りが大坂市民の行楽となったのはこの物語の時代で、陸路と船路の参拝者が罵り合って競り勝つと一年の幸が得られるとの俗信がありました。これを背景に、与兵衛の言動や同世代の仲間との交わりで当時の若者が描かれます。また、お吉との関係・距離感が後の与兵衛の行動の伏線となります。

河内屋内の段
大坂へ逃げ帰った与兵衛は、病床の妹に飲み込ませ、実父の霊が憑いたことにして、養父に家督を譲るように迫ります。番頭上がりの養父は先代主人の実子の与兵衛に遠慮していましたが、実母に手を上げるのに至り、与兵衛を勘当してしまいます。家という組織に属する者としていながら、与兵衛は守るべき秩序の破壊者として描かれています。その末路は組織からの追放=勘当という処分でした。鬼子を育てたのは義理の親子関係、その親子関係を結んだのも家という組織を守るためでした。

豊島屋油店の段
五月五日は端午の節句、その前日は商人にとっては大事な決算日に当たります。身の回りに凝りたい年頃の与兵衛が初夏に冬物の着物を着ているのは、返済期限を前にして首が回らないからです。勘当した息子のために互いの目を盗んで小遣いを調達する両親の心遣いを知り、改心したと与兵衛は語ります。これが本心なのか議論になるところですが、お吉は信用しませんでした。急ぎ働きも素人仕事、血と商売物の油をぶちまけ、外題の通り、店の中は地獄の有様となるのです。

同 逮夜の段
お吉の三十五日の命日の前夜、豊島屋に天の恵みか、下手人の手掛かりとなるひと品が現れます。容疑者は現場に戻るを地で行く与兵衛は、人々の追及に遂に観念し、自らの悪行を認め、その凶行の動機を明らかにします。秩序を乱し続けた与兵衛の存在は悪そのものでしたが、人として一片の心が残っていたとするのは、近松の儒教的な理想主義とも言うべき姿勢です。
-平成26年「夏休み文楽特別公演」パンフレットより


国立文楽劇場開場30周年記念
人形浄瑠璃文楽 平成26年夏休み文楽特別公演

第1部【親子劇場】(午前11時開演)
かみなり太鼓(かみなりだいこ)--小佐田定雄=作
解説 ぶんらくってなあに
西遊記(さいゆうき)
五行山の段/一つ家の段

第2部【名作劇場】(午後2時開演)
近松門左衛門没後290年
平家女護島(へいけにょごのしま)
鬼界が島の段
鑓の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)
浜の宮馬場の段/浅香市之進留守宅の段
数寄屋の段/伏見京橋妻敵討の段

第3部【サマーレイトショー】(午後6時開演)
近松門左衛門没後290年
女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)
徳庵堤の段/河内屋内の段/豊島屋油店の段/同 逮夜の段


今日は、マイ嫁、ジーロンド氏とともに国立文楽劇場でサマーレイトショーを観劇してきます。いやー楽しみやわ!
それでは、いってきます。メロメロ

文楽Eですね。面白いです。赤面

  
タグ :文楽


Posted by nao道 at 17:00Comments(2)古今芸能・文学