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O-TUBE By nao道
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みんなが知ってるいつもの大阪、意外に知られていないあんな歴史こんな人物、ウソかホンマか伝説・逸話、そして大阪検定のためになる話とソーでもない記事満載のブログ。
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2011年12月20日

天王寺七坂-君は虹を見たか

天王寺七坂の地図を作りました。
七つの坂を制覇しようとする人のために七色()を施した虹色坂マップを作成しましたのでドーゾ御覧下さい。下の地図、「天王寺七坂」をクリックして大きな地図で見てみて下さい。
七坂めぐりに役立てていただければ幸いです。


より大きな地図で 天王寺七坂 を表示

天王寺七坂の詳細については以前に書いています。下記のリンク坂名をクリックして下さい。
リンク:真言坂源聖寺坂口縄坂愛染坂清水坂天神坂逢坂
虹色坂:真言坂源聖寺坂口縄坂愛染坂清水坂天神坂逢坂


七色の坂を制するには最北の真言坂からスタートするのがお薦めです。地下鉄谷町線「谷町九丁目」駅から行ってみましょう!
1日あれば、各坂にゆかりのある名所、生國魂神社や愛染さん、大江神社、安居天神などがありますので、それらを巡っても十分に楽しめます。

上町台地には坂が多く、それを代表する天王寺七坂について久しぶりに書いてみました。
上町台地が形成された地理的、歴史的要因についてはコチラからドーゾ。双葉
やっぱり、坂はオモロイです。4946!星


より大きな地図で 天王寺七坂 を表示
  
タグ :天王寺区


Posted by nao道 at 04:32Comments(2)大阪の坂
2011年10月23日

月見の丘


上町台地は、大阪城付近を最北部、帝塚山辺りを南端として大阪市の中央部を南北に細長い山の尾根のように貫いています。台地稜線の標高は南下するにつれ概ね低くなりますので、「月見の丘」の石碑が置かれている阿倍野区北畠は上町台地にありながら比較的低い立地となります。
昔は西側には建物も少なく、月見の習慣が残っていた時代には、この辺りで月見を楽しむ人で賑ったのでしょう。昭和17年(1942)に石碑は建立されています。


なだらかな坂が西に下りながら延びています。阿倍野区南部から住吉区北部にかけては、未だに(タワー型)高層マンションは皆無といっていいでしょう。
なので月見OK!夕陽信仰OK!チョキ

阿倍野橋・天王寺駅周辺の異様なほどの変化と対照的にこの付近は全く変わりませんね。ネコ


大きな地図で見る
  
タグ :阿倍野区


Posted by nao道 at 11:11Comments(0)大阪の坂
2010年10月24日

相生通 相生坂


阿倍野区相生通1丁目の大きな坂を、昔の熊野街道(松虫交差点からはあべの筋の一本西の筋になる)から西に下っていくと左手に「相生坂」が見えます。坂の入口の碑には、「相生」と表記されていますが・・・クローバー
大きな坂を、今度は迂回するように相生坂を上っていくとUターンに近いくらいの大きなカーブがあり、これを上り切るとまた大きな相生通(あいおいどおり)の坂の上に出てきます。
下の地図を御覧下さい。上記の大きい坂というのは、A地点がある東西に延びる相生通そのものの坂のコトです。


相生通は、かつての東成郡天王寺村の西端であった紀州街道の下町から東に伸びる町並み(現・西成区天神ノ森)と、同じく東成郡天王寺村のほぼ中心部を通るあべの筋(熊野街道の一部)から西へ伸びる町並みとが現在の相生通1丁目8番地と相生通1丁目9番地との境目の坂の辺りで相会する事から、その意味を取り入れて、その坂の名が相生坂と名付けられた事に由来します。


Uターーン(カーブ)する写真、2枚目の写真は坂が上がってきている様子、3枚目はそこからさらに上に抜けていく様子を撮ったものです。
下の地図では、この界隈が碁盤目状になりにくい街であるということと、上町台地を代表する坂が、まるで等高線のように曲がっている様がうかがえます。(A~B地点)
チャリきつい!4946!
  
タグ :阿倍野区


Posted by nao道 at 08:08Comments(3)大阪の坂
2010年10月22日

相生通 相親坂


大阪には川(堀川)がたくさんあって、それに架かる橋がイッパイあって浪華八百八橋としてよく語られています。
それはその通りです。堀川が埋め立てられて橋が無くなっても町名「~橋」は数多く残っています。

阿倍野区特集では、大阪の代名詞である川・橋は出てきません。
大阪市の大部分が平面的イメージ(大阪平野・海・川・橋)であるのに対して、阿倍野区・天王寺区・旧東区は、区域のほとんどが上町台地に属しているため、その大阪のイメージを覆すような坂道の多い、丘陵のため碁盤目状になっていない地域が多く、官庁街・寺町・高級住宅街になっています。
上町台地の記事は以前に書いていますのでコチラからドーゾ。


ということで、今日も坂です。
阿倍野区相生通(あいおいどおり)2丁目、大阪府立住吉高等学校(すみこう)のちょっと北の阿倍野相生郵便局近くの坂、「相親坂」です。
急な坂道です。
この坂を上り切ってさらに進むと阿倍野区晴明通の朝陽館というスゴイ幼稚園の近くに出ます。
下の地図のA~B地点に上っていく坂です。4946!


大きな地図で見る
  
タグ :阿倍野区


Posted by nao道 at 07:07Comments(0)大阪の坂
2010年10月21日

北畠 みや坂


阿倍野区特集、今日は閑静な高級住宅街阿倍野区北畠3丁目の坂をドーゾ。
阿部野神社参道に繋がる、その名も「みや坂」です。
下の地図で見て下さい。A~B地点に上っていく坂です。


B地点の手前でS字に軽く曲がっています。
明日も阿倍野区特集です。今月末まで続きます。4946!

  
タグ :阿倍野区


Posted by nao道 at 02:16Comments(0)大阪の坂
2010年10月21日

上町台地は坂だらけ


上町台地が昔、北に突き出した大きな岬であったことを知ることは、大阪を理解する時にたいへん重要な意味をもちます。
なぜ大阪城があの地に築かれたのか、なぜ神社や寺院、古墳や塚が集中しているのか、なぜ天王寺七坂に代表される坂が多いのか? など当時の地形から、今日の大阪の成り立ちを読み解くことができます。


上町台地は、大坂城の北端、八軒家浜の南端(中央区石町)または、天満橋南詰から南へ、住吉大社までの約12kmにわたる南北に延びる帯状の台地です。


台地の西端は、坂道、崖、崖のような階段坂、車道になった緩やかな坂など種々の形態をもつ地形
阿倍野区西成区境に顕著にみられる断崖階段です。
台地東端はおおかたがなだらかな坂道になっています。

台地南部の阿倍野区帝塚山北畠・丸山通・晴明通の地形は小高い山のようになっていて、その頂上を廻るように坂道が点在しています。
住吉区に至る台地の南端は緩やかに住吉大社辺りで平地になります。
上図①、地図上の黒線の部分が現在に残る「坂」です。

拙ブログでは、今月末まで阿倍野区特集をお送りします。ハート
阿倍野区ということは、今のアベノのコトについてもモチロン書きますが、「坂」「塚」「古墳」がいくつか出てきます。
それで、こんなチョット余計な記事を書いてみました。4946!
  

Posted by nao道 at 01:41Comments(0)大阪の坂
2010年06月04日

天王寺区味原町の坂


JR大阪環状線大阪市営地下鉄千日前線鶴橋駅のほど近く、玉造筋千日前通の交差点を少し北進したところにある階段坂。


目印は天理教の分教会です。


上からみると↑
坂を上りちょっと歩くと大阪市立味原小学校があります。


天気が良い日が続きますね。風が爽やかですね。
タダの階段といわれるツライ日になってしまいます。4946!
  


Posted by nao道 at 01:14Comments(0)大阪の坂
2010年05月12日

観音坂


かつては、和勝院(藤棚観音と呼ばれていた)というお寺が坂の上(谷町筋)にあったらしいです。
お寺は、江戸時代新町(現大阪市西区新町)に移転し、さらに昭和初期箕面市に移転しました。そして現在は廃寺・・・こういう場合、観音像というか、御本尊的なモノはどうするのでしょうか?関係性のあるお寺に面倒を見てもらうのでしょうか?
ワカリマセン。力こぶ


坂は階段部分を上がると左に曲がり、コジンマリしたカワイイ雑貨店の前を通って谷町筋に至ります。


谷町筋は上町台地尾根のような部分を南北に走っています。この道(大阪っぽく言えばスジ)を左右を見ながら歩いていると、坂道が実に多いことに気付きます。坂道を下っていくと都会のアレコレを少しだけ忘れられます。


イエー!イルカ
さよなら・・・

大きな地図で見る
  


Posted by nao道 at 13:39Comments(0)大阪の坂
2010年03月17日

学園坂-天王寺七坂番外編


正式?には天王寺七坂に含まれていませんが、源聖寺坂口縄坂の間を並行してはしる坂です。
千日前通逢坂(国道25号線)の間の唯一の車道で、松屋町筋から東に上っていき、谷町筋(六万体交差点)を途中通り、更に天王寺郵便局前を通って上町筋あたりまでの道です。
たぶん松屋町筋から谷町筋までの坂道を、坂沿いにある大阪夕陽丘学園の「学園」から名前を採って、学園坂といいます。ソウしか考えられん。
以上...天王寺七坂番外編でした。
  
タグ :天王寺区


Posted by nao道 at 17:17Comments(0)大阪の坂
2010年02月25日

真言坂


天王寺七坂の一つで、生國魂神社の北側にある南北の坂です。


生國魂神社の神宮寺であった法案寺をはじめとする生玉十坊が、明治の廃仏毀釈(神仏分離)まで神社周辺で栄えており、うち神社の北側にあった六坊が真言宗の寺院であったことからこの名で呼ばれています。その六坊とは、医王院・観音院・桜本院・新蔵院・遍照院・曼陀羅院の六つの寺院です。


現在の坂は自動車が通られる石畳となっています。また、この周辺がラブホテル街になっているのは、明治初期くらいまでの遊女街の名残りなのでしょうか。


より大きな地図で 天王寺七坂 を表示

現在では千日前通から生國魂神社までの坂道ですが、自動車の幹線道路である千日前通が出来るまでは、通りの反対側にある高津神社からつながる長い坂道でした。


大きな地図で見る

確かに地図で見ると高津神社と生國魂神社は同じ直線上にあります。
  


Posted by nao道 at 14:03Comments(0)大阪の坂