2010年08月13日
八軒家浜なう
江戸時代、八軒家には三十石船をはじめ野崎詣・金毘羅参などのさまざまな船が発着し、淀川流域の船着場として随一の賑わいを見せた。船着場には京街道でもあった浜通から川岸にかけて、石の階段「雁木」が築かれ、物資の積み下ろしや人の乗り降りに便利な工夫がされていた。
三十石船は八軒家と京・伏見の間、十一里余(約45km)を上り1日、下り半日で運航し、江戸時代を通して貨客輸送の中心を占めた。明治3年(1870年)に蒸気汽船が就航すると三十石船は衰退し、明治43年(1910年)に京阪電気鉄道が天満橋-京都五条間に開通して、八軒家は淀川の貨客輸送のターミナルの役目を終えた。しかし、現在、水の都大阪再生の核となる取り組みとして、水上交通の拠点となる船着場が八軒家に完成し、往時の賑やかな水上ターミナルの役目は、現在にも引き継がれている。
-大阪市
この日はゼンゼン賑ってなかったけど。
階段の部分は、江戸時代の、船から荷を揚げる場所をイメージして造られたものでしょう。
あとは、あんなに暑いなかヨー歩いたな、とかくらいです。
この記事ではほとんど書けていない八軒家浜の歴史的な側面をまたイツカ書こうと思っていますので4946!
大きな地図で見る
Posted by nao道 at 08:08│Comments(0)
│史跡を巡る