2010年10月30日
丸山古墳跡
ココは、この小高いこの地は、かつての丸山古墳でした。
面積82㎡(ちっちゃい)ばかりの円形の古墳で、その頂に長方形と宝冠形の石塔2基が安置され、墳丘には老松、ふもとには桜樹の並ぶ美しい小山で、そのことから丸山と呼び親しまれてきました。
大正12年、古墳の表土が鋳物製作に好適ということから採掘され、呉海軍工廠に搬出されるようになりました。(やっぱ軍国主義とかイタイ!)さらに石棺、香炉などの多くの埋蔵物が発見されたました。しかし当時は、今のように考古学は発展していない時代で、研究調査などは全く進められず、そのまま現在に至っています。
大正12年、古墳の表土が鋳物製作に好適ということから採掘され、呉海軍工廠に搬出されるようになりました。(やっぱ軍国主義とかイタイ!)さらに石棺、香炉などの多くの埋蔵物が発見されたました。しかし当時は、今のように考古学は発展していない時代で、研究調査などは全く進められず、そのまま現在に至っています。
町名「丸山通」だけが今に残っています。
ということで阿倍野区特集は、明日で終わります。

ということで阿倍野区特集は、明日で終わります。
ネタはまだまだありますが、日曜日には、最後なので、塚(墓)や坂や神社などの古いコトではなく、今のアベノについて書いてみますので4946!ヨロシクです。
下のストリートビューをイジクッて見てみて下さい。
どんだけ坂道があって山になってるか!

どんだけ坂道があって山になってるか!
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Posted by nao道 at 12:24│Comments(0)
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