2011年02月23日
大阪城 市多聞跡
江戸時代、大阪城大手口枡形には、現存する多聞櫓のほか、南側に東西13間5尺、南北3間の独立した多聞櫓が建っていた。大手口枡形内には定期的に商人の入場が許可され、この櫓の中で、一年交替で城に詰めた旗本(大番衆)が日用品を調達するための市が開かれたことから、市多聞という名がついた。明治維新の大火によって焼失し、現在は礎石のみが残る。大手門から南にのびて東に折れる塀のうち市多聞跡と重なる部分は、市多聞焼失後に築かれたものである。
-歴史街道・案内板より
大手門をくぐり抜けて門と塀と巨石に囲まれた空間のことを枡形と呼ぶようです。
城の防衛施設なんでしょう。多くの城に施されているようですね。大坂城のそれはデカイらしいです。塀に使用されている石もデカイのです。
1間(けん)=6尺=およそ1.8m
1尺(しゃく)=0.33m=およそ30cm
となりますので、上の説明でいくともう一つの多聞櫓が大手口枡口内に、東西:(13*1.8)+(5*0.33)=25.05m 南北:3*1.8=5.4mという規模で建っていたということになります。下の図でご覧下さい。こんな感じになるんかな?ドーやろか?
より大きな地図で 大阪城・大手門枡口の市多聞跡 を表示
大阪検定のタメになるかドーかはワカランけど、谷町4丁目駅下車後、大阪府庁前から大手門を抜けて天守閣のある広場に登ってみましょう。今の大阪城がどのような文化財なのかを、主に案内板に沿ってみていきます。
今日は、大手門ルート第2弾ということで4946!
下の地図のA-Bが大手門ルートです。


「おおさか遊ぶろぐ」でこの記事をチェック!
Posted by nao道 at 12:23│Comments(0)
│史跡を巡る