オオサカジン

日記/一般 日記/一般   | 大阪市

新規登録ログインヘルプ


O-TUBE By nao道
nao道
nao道
みんなが知ってるいつもの大阪、意外に知られていないあんな歴史こんな人物、ウソかホンマか伝説・逸話、そして大阪検定のためになる話とソーでもない記事満載のブログ。
コメント・TB、お待ちしております。4946!!!
COUNTER
< 2024年05月 >
S M T W T F S
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
WEEKLY-RANKING
 › O-TUBE › 史跡を巡る › 大阪城 多聞櫓
2011年02月25日

大阪城 多聞櫓

大阪城 多聞櫓

重要文化財 多聞櫓

大手口枡形【ますがた】の石垣の上に建つ櫓で、大門【おおもん】の上をまたぐ渡櫓【わたりやぐら】と、その右側に直角に折れて接続する続櫓【つづきやぐら】によって構成される。徳川幕府による大坂城再築工事より寛永5年(1628)に創建されたが、天明3年(1783)の落雷によって全焼し、嘉永元年(1848)に再建された。土塁や石垣上に築かれた長屋状の建物を一般に多聞(多門)と呼ぶが、その名称は戦国時代の武将松永久秀【まつながひさひで】が大和国(今の奈良県)の多聞城でこうした形式の櫓を初めて築いたことに由来するといわれる。現存する多聞櫓の中でもこの多聞櫓は最大規模で、高さは約14.7メートル、建築総面積は約710.25平方メートルある。渡櫓内部には70畳敷を最大とする部屋が4室、続櫓内部には廊下のほか9畳・12畳・15畳の部屋が計6室あって多数の兵や武器をたくわえることができ、枡形の内側に多くの窓があり、また大門をくぐる敵を真上から攻撃する「槍落し」の装置が設けられるなど、高い防御能力を備えている。大阪城二の丸には京橋口・玉造口にも多聞櫓があったが、現存するのはここだけである。
-歴史街道・案内板より
大阪城 多聞櫓
何度もここ通ったよな…でもいつもチャンと覚えてない。いつもソーなんですよ。だから今回はチャンと書き残してみようと思っています。

大阪検定のタメになるかドーかはワカランけど、谷町4丁目駅下車後、大阪府庁前から大手門を抜けて天守閣のある広場に登ってみましょう。今の大阪城がどのような文化財なのかを、主に案内板に沿ってみていきます。
今日は、大手門ルート第4弾ということで4946!
下の地図のA-Bが大手門ルートです。お城明日もイクでー!たこ焼き


同じカテゴリー(史跡を巡る)の記事画像
鴫野古戦場碑-鴫野・今福の戦い
大坂夏の陣 道明寺合戦記念碑
後藤又兵衛基次之碑-道明寺・誉田の戦い
奥田忠次の墓-道明寺・誉田の戦い
小松山古戦場跡-道明寺・誉田の戦い
真田幸村(信繁)の銅像-安居神社
同じカテゴリー(史跡を巡る)の記事
 鴫野古戦場碑-鴫野・今福の戦い (2016-07-27 11:11)
 大坂夏の陣 道明寺合戦記念碑 (2016-07-20 10:10)
 後藤又兵衛基次之碑-道明寺・誉田の戦い (2016-07-17 08:08)
 奥田忠次の墓-道明寺・誉田の戦い (2016-07-16 09:09)
 小松山古戦場跡-道明寺・誉田の戦い (2016-07-15 19:25)
 真田幸村(信繁)の銅像-安居神社 (2016-07-03 00:00)

Posted by nao道 at 08:08│Comments(0)史跡を巡る
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。