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2011年04月21日

木村蒹葭堂

木村蒹葭堂

木村蒹葭堂邸跡

木村巽齋(そんさい・1736~1802)は近世大阪が生んだ最も著名な文人であり町人学者である。北堀江の邸内の古井戸で芦の根が出たことから、浪速の萩と芦(兼葭)に因んで兼葭堂と名のった。
酒造業を営むかたわら、本草学を小野蘭山に師事し、「一角纂考」「本草綱目解」などを著した。
一方、漢詩、書画、篆刻などを片山北海、柳沢淇園、趙陶齋、池大雅ら当代一流の大家に師事し、優れた才能を発揮した。また古今の書籍・書画・博物学の標本等の収集家としてあまねくその名を知られていた。
巽齋のもとには、彼の博識と厖大な収集品にひかれる文人や画家、書家や学者たちの訪問が絶えず、その邸宅は知識人の交流サロンとなっていたことが「兼葭堂日記」には生き生きと描かれている。
-石碑横の案内板より

木村蒹葭堂
木村蒹葭堂(きむらけんかどう)邸跡の碑は、大阪市西区の大阪市立中央図書館南東角に建っています。
江戸時代、大坂随一の町人学者とうたわれた木村蒹葭堂の旧宅顕彰碑は、図書館の一画に建てることがふさわしいということから昭和35年(1960)、まだ中央図書館が建設中だった現在地に建てられました。
実際の邸跡は約120m西にあったようです。推定地は大阪市立西高校の南側の一画です。下の地図で位置関係をドーゾ。
アクセスも下の地図でドーゾ。地下鉄長堀鶴見緑地線・千日前線西長堀駅下車スグです。4946です。本


より大きな地図で 木村兼葭堂邸跡 を表示


タグ :西区

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この記事へのコメント
推定地は西高校の南側、ファミリーマートの西側あたりだそうです。今は駐車場で使われているあたりです。なぜかずっと経過的利用のままみたいです。
何かの本で、中央図書館建て替え前の旧舘時代に屋上からの写真で確認しました。ファミリーマートも簡易な建物なので何かあるのかも。(写真では材木置き場)
それと谷文晁ですが、一説では幕府のスパイだという話があります。
中村真一郎に「蒹葭堂のサロン」があります。「日記」は難儀なのでコチラでドーゾ。
Posted by ダラカニ at 2011年04月21日 22:53
ダラカニさん江

貴重な情報ありがとうございます。さっそく地図を書きかえておきます。
谷文晃、隠密説ですか…画家のふりをして大坂の動きを探っていた…ドラマになりますね。
Posted by nao道nao道 at 2011年04月22日 00:42
 
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