2011年10月19日
松瀬青々生誕地
板敷にもらひ牡丹の崩れ哉 松瀬青々
松瀬青々(まつせせいせい)は幼少から漢詩・和歌を学んだ教養人。観察眼の鋭い句風で戦前の関西俳壇の重鎮になった。
-「大阪の教科書」(創元社)p37より抜粋
明治2年(1869)、大阪・大川町(現・大阪市中央区北浜4丁目)に生まれる。正岡子規に師事し明治32年上京後、俳句雑誌「ホトトギス」の編集員となる。明治33年、帰阪し大阪朝日新聞社に勤め「朝日俳壇」の選者を担当する。また34年には俳誌「倦鳥」を創刊し主宰した。昭和12年(1937)死去、享年69歳。本名は弥三郎。
画像では確認できないのですが、銀行の門の右手の植え込みにこの石碑があります。

こちらも確認できませんが、左側にもこの銀行とゆかりの深い「手形交換所発祥の地」の石碑が建っています。

Posted by nao道 at 12:12│Comments(0)
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