2011年11月19日
文楽座之跡-御霊神社
文楽座之跡
本流人形浄瑠璃文楽座は明治十七年九月この境内に新装なり柿落としを行つてより大正十五年十一月火難に遭うまで四十有余年近世文楽における全盛期を送り迎え大阪市民の永久に忘れ得ぬゆかりの地であることを記して銘とする
昭和四十九年 文化の日
御霊神社宮司 園克己
御霊神社宮司 園克己
-現地碑文より原文ママ
文化8年(1811)に植村文楽軒が高津新地から難波神社境内に進出し、のちに文楽座を名乗るようになり、明治17年(1884)に御霊神社に移りました。また同年には、別の一派である彦六座が難波神社に開場し、2座が競うことにより人形浄瑠璃が人気を取り戻しました。
彦六座が明治26年(1893)に解散したものの、御霊文楽座は唯一の人形浄瑠璃専門の小屋となります。
大正15年(1926)に御霊文楽座は焼失し四ツ橋に移転しましたが、御霊文楽座は200年の歴史を誇る文楽の最も輝いた時代を創りました。
中央区史蹟文化事典(大阪市中央区役所刊)を参考にさせて頂きました。
浄瑠璃が出てくる落語はオモロイけどね…人形浄瑠璃のホンマの面白さは、ドーでしょうか?来年、40歳を迎えたら分かるのでしょうか?
年を越してから考えてみます。ワカルかな?

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Posted by nao道 at 03:50│Comments(0)
│古今芸能・文学