2012年01月15日
中津藩蔵屋敷跡
豊前国中津藩蔵屋舗之跡
江戸時代の大坂は「天下の台所」と謳われ、物流や商業の中心地として大いに賑わっていました。諸国の米や名産品、物資や情報が行き交う中之島周辺には諸国各藩の蔵屋敷が建ち並び、最盛期には100以上の蔵屋敷が軒を連ねたと伝えられています。
中津藩蔵屋敷は、石碑の立つ現在の朝日放送(ABC)の敷地とほぼ重なる位置に設営されていました。
文化3年(1806)に刊行された「増脩改正攝州大阪地圖」には、堂島川河畔の田蓑橋北詰から玉江橋北詰にかけて東から順に、長岡藩、上田藩、秋田藩、壬生藩、延岡藩、中津藩の6つの蔵屋敷が描かれています。
そして特筆ずベきは、ある人物がこの地に産声を上げました。天保5年(1835)12月12日、この中津藩蔵屋敷に福澤諭吉が誕生しています。
この地は平成5年(1993)に大阪大学医学部附属病院(阪大病院)移転してからは空地の状態が続きましたが、平成20年(2008)に「"水の都"復活につながる、魅力的な水辺のまちを創造する」というコンセプトの下、「ほたるまち」が誕生しました。朝日放送(ABC)とABCホール、堂島リバーフォーラムと堂島クロスウォークがその中核施設です。
上の古地図は文久3年(1863)に描かれた「國寶大阪全圖」の一部です。この頃には蔵屋敷も入れ替わり(敷地の面積は古地図ではよく見うけられる絵画的要素により実寸は測れない)、藩主である大名家の蔵屋敷をこの地域に8つ確認することができます。
より大きな地図で 諸藩の蔵屋敷群-田蓑橋北詰~玉江橋北詰 を表示
Googleマップで地図を作成しましたので、上の「より大きな地図」を見て下さい。文化3年(1806)、「増脩改正攝州大阪地圖」に描かれた田蓑橋から玉江橋にかけての蔵屋敷群を大まかに表現してみました。
今回は豊前国中津藩跡の碑を見て頂きましたが、勘のE読者ならもうお気付きかと思います。
バレバレではあるものの次回は諭吉さんについて、この地に生まれた福沢諭吉について書いてみます。
天は人の上に人を…人の下に人を…4946です!
上の古地図は文久3年(1863)に描かれた「國寶大阪全圖」の一部です。この頃には蔵屋敷も入れ替わり(敷地の面積は古地図ではよく見うけられる絵画的要素により実寸は測れない)、藩主である大名家の蔵屋敷をこの地域に8つ確認することができます。
より大きな地図で 諸藩の蔵屋敷群-田蓑橋北詰~玉江橋北詰 を表示
Googleマップで地図を作成しましたので、上の「より大きな地図」を見て下さい。文化3年(1806)、「増脩改正攝州大阪地圖」に描かれた田蓑橋から玉江橋にかけての蔵屋敷群を大まかに表現してみました。
バレバレではあるものの次回は諭吉さんについて、この地に生まれた福沢諭吉について書いてみます。
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Posted by nao道 at 08:08│Comments(0)
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