2012年04月09日
天彩画塾跡
天彩画塾跡
明治三七年(一九〇四)から大正一四年(一九二五)までこの地で松原三五郎(一八六四~一九四六)が主宰した天彩画塾は、大阪で本格的な油彩画を教えた最初の洋画塾でした。松原三五郎は東京で油彩画を学び、明治一七年(一八八四)に帰郷、岡山師範学校勤務となったのち、天彩学舎という画塾を起こしました。同二三年(一八九〇)、大阪師範学校に転任すると天彩学舎を現大阪市中央区糸屋町に移し、さらに三七年にはこの地に移り、設備の整った洋館建てのアトリエを構え、天彩画塾と改称しました。
松原は、もうひとりの大阪洋画界の先駆者である山内愚僊とともに、大阪で初の洋画展覧会を開き、関西美術会の結成などに活躍しました。大正五年(一九一六)には大阪洋画会を結成するなど、大阪洋画界の重鎮として活躍しました。
天彩画塾では広瀬勝平、林唯一、高岡徳太郎、靉光、池田遥邨らが学び、日本近代美術史に名を残す画家たちを輩出しました。

石碑の立つ松崎公園は、この季節には桜が咲き誇り小さなお花見の名所となっています。もう少し後には八重桜が見頃を迎えます。
ここが洋画学校であったことが何となく自然にイメージとして受け入れられるような静かなE場所です。

この公園からあべのハルカスを撮影してみました。
ドーゾ桜の季節に訪ねてみて下さい。
松原は、もうひとりの大阪洋画界の先駆者である山内愚僊とともに、大阪で初の洋画展覧会を開き、関西美術会の結成などに活躍しました。大正五年(一九一六)には大阪洋画会を結成するなど、大阪洋画界の重鎮として活躍しました。
天彩画塾では広瀬勝平、林唯一、高岡徳太郎、靉光、池田遥邨らが学び、日本近代美術史に名を残す画家たちを輩出しました。
大阪市教育委員会
ここが洋画学校であったことが何となく自然にイメージとして受け入れられるような静かなE場所です。


ドーゾ桜の季節に訪ねてみて下さい。
Posted by nao道 at 11:11│Comments(2)
│史跡を巡る
この記事へのコメント
桜満開とニュースで言ってたので、取り急ぎサークル桜祭り開催記事アップしました。とりあえず今回はそれぞれ記事アップした人のリンク貼って紹介していこうかと。
私も来週いっぱい催事なのでこんな感じしか思い付かなかったんですがf^_^;
まだ大阪も満開でもないみたいなので大丈夫かな?会長もヨンコちゃんと桜記事ヨロシクです。
私も来週いっぱい催事なのでこんな感じしか思い付かなかったんですがf^_^;
まだ大阪も満開でもないみたいなので大丈夫かな?会長もヨンコちゃんと桜記事ヨロシクです。
Posted by ベティニャン at 2012年04月09日 22:38
ベティ姉さん江
この記事で姉さんからコメントとはドーしたのかと思ったらソーいうコトでしたか?
OKです。企画ありがとうございます。すぐにアップしますよ。
この記事で姉さんからコメントとはドーしたのかと思ったらソーいうコトでしたか?
OKです。企画ありがとうございます。すぐにアップしますよ。
Posted by nao道
at 2012年04月10日 01:26
