2014年02月08日
初めての文楽@国立文楽劇場

この日、平成26年1月26日は、初春公演の千秋楽であると同時に本年度(平成25年度)の国立文楽劇場での最後の文楽公演となる非常に意味深い一日となりました。
というのは、この公演が終了した時点で大阪市の設定した今年度の有料入場者数10万5千人に届くかどうか決定する千秋楽になっていたからです。結果はみなさん御存じの通り、総入場者は10万1204人で、大阪市から文楽協会への補助金が減らされてしまうことになりました。千秋楽を迎える前からわかっていたこととはいえ報道関係の人が多かったようでした。

話は少し変わりますが、何故、橋下市長ほど知名度が高く、発信力に優れた市長、大阪市の大多数が推したこの人物が大阪発の伝統芸能の宣伝役にならないのか、応援しようとしないのか、大阪市を挙げて文楽の現状を打破しようと努力しなかったのか、それがよくわかりません。
もちろん個人の意見ですが(個人のブログなので)、東国原氏の政治家としての価値がどうなのかわかりませんし、橋下市長と比較してもしょうがないことですが、もし彼が大阪市長を同時期に務めていたとしたら、逆のことを、停滞しているが価値のあるものを自ら売り出したのではないでしょうか?大都市と田舎は違うけど、人間や文化はそれぞれ様々でしょうけど、本質はそんなに変わりませんよね。
統治と振興のバランスは政治家にとってそんなに難しいことなのでしょうか?
素晴らしい芸術を観るとき、そんなことはどうでもよくなってくるものです。

文楽は、その入場者が減っているとは確かでしょうけど、この日確実に3人のファンを獲得しました。それは、前述の私を含む3人の文楽初心者です。
私は、人形浄瑠璃文楽が、能、歌舞伎とともに日本三大古典芸能の一つで、大阪が育んだ世界無形文化遺産であることも、人間国宝が多数いることも知っていましたし、テレビで観賞した(最後まで観たことはない)こともありました。

しかし、生で観ると今まで自分が持っていた文楽のイメージが本当に覆ってしまって、どう言っていいのか…
ストレートに感想を言えば、「何かようわからんけど、とにかく全てが完璧」でした。
「東西東西(とーざいとーざい)」から、三味線の低い音、幕の開き方、雪の降らせ方、字幕のほどよい暗さ、太夫の表現力、黒子の動き、そして人形の表情、衣装の美しさ、人形遣いの技、個々の完璧さが全てが完全に一つになっているからでしょう。プログレッシブロックを聴いているような、もっと言えばオペラ(観たことないけど)を観ているような感覚でした。

E一日でした。
今年は、文楽の記事をたくさん書きたいです。大阪に住んでいながら、国立文楽劇場に簡単に行けるところにいながらの初体験でした。後悔すらしますね。
今回はなんといっても、誘っていただいたマイ嫁のお友達に感謝です。
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私は、人形浄瑠璃文楽が、能、歌舞伎とともに日本三大古典芸能の一つで、大阪が育んだ世界無形文化遺産であることも、人間国宝が多数いることも知っていましたし、テレビで観賞した(最後まで観たことはない)こともありました。

ストレートに感想を言えば、「何かようわからんけど、とにかく全てが完璧」でした。
「東西東西(とーざいとーざい)」から、三味線の低い音、幕の開き方、雪の降らせ方、字幕のほどよい暗さ、太夫の表現力、黒子の動き、そして人形の表情、衣装の美しさ、人形遣いの技、個々の完璧さが全てが完全に一つになっているからでしょう。プログレッシブロックを聴いているような、もっと言えばオペラ(観たことないけど)を観ているような感覚でした。

今年は、文楽の記事をたくさん書きたいです。大阪に住んでいながら、国立文楽劇場に簡単に行けるところにいながらの初体験でした。後悔すらしますね。
今回はなんといっても、誘っていただいたマイ嫁のお友達に感謝です。

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Posted by nao道 at 10:10│Comments(0)
│古今芸能・文学