2010年06月13日
妙国寺 土佐烈士⑪の墓
妙国寺といえば、覚えておきたいのは、「大そてつ」と「堺事件」です。
今回は堺事件のほうだけじゃ!大そてつの写真を撮れなかったからじゃ!写真を撮ってからじゃ!ということで・・・
1868年(慶応4年)、大阪天保山沖に停泊中のフランス軍艦から水兵100人余りが堺に上陸。市内を見物し、婦女子を追い回し、神社・仏閣に侵入するなどの暴挙を働いた。

2月23日妙國寺本堂前において、日仏立会人の面前で切腹が執り行われたが、その凄惨な様を見たフランスの立会人は11人の切腹が終わり、12人にかかるところで日暮れとともに退場してしまっため、残りの9名は切腹を取りやめ、土佐へ流刑となった。
第1回大阪検定2級試験に出題された問題です。
80.1868年(慶応4年)、堺の警備にあたっていたある藩の兵が、フランス人を死傷させた「堺事件」が起こりました。そのかどで、その藩士11名が堺にある妙国寺の境内で死刑(切腹)に処されました。切腹を命じられたのはどこの藩士だったでしょう?
当時堺の警備隊として妙國寺に駐屯していたのが土佐藩士で、鎮圧をしようとしたものの言葉が通じず、逆に警備隊が愚弄され、隊旗を奪われるに至って、ついにフランス水兵たちとの銃撃戦となった。水兵は13名の死傷者を残して退去したが、当然この事件は国際問題となり、警備隊20名に切腹が命じられた。
この事件の頃から、土佐藩主・山内容堂の立場が危うくなっていきます。攘夷派が強くなっていきます。
攘夷の異様な雰囲気が何となし伝わるこのお寺、大そてつはまたイツカということで・・・さようなら


Posted by nao道 at 08:08│Comments(0)
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