2014年08月27日
露天神社(お初天神)

由緒略記
御祭神 少彦名大神・大己貴大神・天照大神・豐受姫大神・菅原道眞
摂社 稲荷神社・水天宮・金比羅神社
社伝によれば、創建は壱千百有余年を遡り、文徳天皇の御代、
嘉祥3年(850)に定め給いし「難波八十島祭」の旧蹟にも数えられ、「住吉住地曽祢神」を祀ると伝えられる。
往地此の地は曽根洲と称する孤島にて、曽根洲、後の曽根崎の地名はこの御神名より起こる。
平安期、渡辺十郎源契来りて入植せしより、渡辺氏一族を始め移植の民次第に増し、曽根崎村へと発展し、
当社も産土神「曽根崎天神」として尊崇された。現在も梅田、曽根崎地区の鎮守として信仰を集めている。
昌泰4年(901)菅原道真公筑紫に左遷配流の途次、当地を過ぎ給う砌(みぎり)、境内の草木露深ければ
露と散る 涙に袖は 朽ちにけり 都のことを 想い出づれば
と詠ぜられ、菅公大宰府にて御他界の後、その遺徳を偲び奉り合祀し、右の御歌より「露ノ天神社」と称する。(社名の由来その他諸説有り)
元禄16年4月7日堂島新地天満屋抱えの「お初」と内本町醤油屋平野屋の手代「徳兵衛」、当社「天神の森」にて情死し、日を置かず時の戯曲作家「近松門左衛門」により「曽根崎心中」として劇化された。
以後上演の度、男女身分の差無く多数の民衆観劇し、挙って当社に参詣慰霊に訪れたと云う。「お初天神」と通称される所以である。
-現地案内板より


明治42(1909)の「北の大火」で近在各地に祀られていた稲荷社4社が焼失したため、翌年当社に合祀されました。




Posted by nao道 at 21:08│Comments(3)
│神社・仏閣
この記事へのコメント
nao道さん、いつもオオサカジンのご利用ありがとうございます♪
露天神社が「曽根崎心中」ゆかりだと初めて知りました。
近場のことほどわざわざ調べない分、知らないことが多いかもしれません。
とても勉強になりました。
露天神社が「曽根崎心中」ゆかりだと初めて知りました。
近場のことほどわざわざ調べない分、知らないことが多いかもしれません。
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Posted by オオサカジン運営事務局
at 2014年08月28日 16:00

こちらこそ、お世話になってます。
またピックアップしてくださいね!待ってます。
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Posted by nao道 at 2014年08月30日 16:19
おはようございます、オオサカジンです。
お返事ありがとうございました。
美味しいグルメ情報も勉強になる情報も楽しみにしています。
これからもよろしくお願いします。
お返事ありがとうございました。
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Posted by オオサカジン運営事務局
at 2014年09月01日 10:41
