2010年10月04日
原田神社
原田神社本殿
指定年月日 平成五年十二月九日
原田神社の創建は、社伝によると奈良時代以前、天武天皇の時代にさかのぼるといわれています。室町時代には将軍足利家より神領として四牧六車庄の寄進をうけ、東は豊嶋郡榎坂村(現吹田市江坂)から、西は川辺郡富松村(現尼崎市富松)にわたる七十二か村の氏神として栄えました。
その後天正六年(1578)には、荒木村重の兵火によって社殿や宝物類を焼失、慶安五年(1652)に再興されました。
もとは祇園社(ぎおんしゃ)とも牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)とも呼ばれていましたが、貞享五年(1688)に原田大明神の神号を得て現在の社名となりました。
この本殿は棟礼により慶安五年(1652)の建立が明らかで、五間社流造(ごけんしゃながれづくり)の形式をもち、正面に千鳥破風および軒唐破風(のきからはふ)がみられ、屋根は檜皮葺(ひわだぶき)であります。
材料工法ともに上質な江戸時代前期の建築で、全国的にも類例の少ない五間社流造の形式をもち、紅梁(こうりょう)の配置や身舎(もや)とのつなぎかた、妻飾などに配した邪鬼など細部の形式意匠にも特色があり貴重な文化財であります。
その後天正六年(1578)には、荒木村重の兵火によって社殿や宝物類を焼失、慶安五年(1652)に再興されました。
もとは祇園社(ぎおんしゃ)とも牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)とも呼ばれていましたが、貞享五年(1688)に原田大明神の神号を得て現在の社名となりました。
この本殿は棟礼により慶安五年(1652)の建立が明らかで、五間社流造(ごけんしゃながれづくり)の形式をもち、正面に千鳥破風および軒唐破風(のきからはふ)がみられ、屋根は檜皮葺(ひわだぶき)であります。
材料工法ともに上質な江戸時代前期の建築で、全国的にも類例の少ない五間社流造の形式をもち、紅梁(こうりょう)の配置や身舎(もや)とのつなぎかた、妻飾などに配した邪鬼など細部の形式意匠にも特色があり貴重な文化財であります。
9月26日の御出始式から10月10日まで、約2週間にわたって繰り広げられる秋祭りです。
10月2日~8日までは獅子頭が12の氏子地区を巡ります。かつては72もの村々を巡ったと神社の記録にはあります。クライマックスは9日、境内に氏子たちが集まって巨大な松明のもとで勇壮な獅子追い神事を行う宵宮祭。そして10日の本殿祭で、祭りは厳かに幕を閉じます。-「広報とよなか」より抜粋(めっちゃ縮めてる!)
今年はスケジュール的に無理(私)ですが、来年の9日、夜の「獅子追い神事」は是非見学してみたいと思っています。
あの「朝ドラ」と関係あるんかな?





Posted by nao道 at 23:55│Comments(0)
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