2011年01月23日
榎木大明神
長年に渡り、地元の人に「エノキさん」「巳さん」と親しみ呼ばれているこの大樹は、正しくは「槐(エンジュ)」という中国原産の樹である。楠木正成公がお手植えという説もあり、樹齢はおよお六百五十年と言われている。
豊臣の時代には当地も大阪城域で、この辺りは紀州熊野参りとお伊勢参りの街道筋だった。だから大きくそびえるこの樹は、何よりの目印になったし、また地元の人達は土地神として「白蛇大明神」の祠を建てて代々この樹をお守りしてきました。
昭和二十年(1945年)第二次世界大戦の大空襲の折には、襲ってきた猛火がこの樹の辺りでピタリと止まり、東側一帯が危うく類焼を免れた。これも霊験のひとつとして語り伝えられており、毎年春のお彼岸前後には、地元「箔美会」の人達により、榎木大明神の大祭が挙行されている。
そして現在、樹勢は極めて盛んとなり、地元で実施され直木賞で有名な直木三十五氏の文学碑とともに、都心のオアシスとなっている。 平成六年(1994年)十月吉日

「坂を抱く街」上町台地の象徴のような榎木大明神さんは、昔この坂の下の際(現・長堀通)まで海やった時からこの地を見守っていたようです。まるで住吉っさんのような立地やったんですな。熊野街道がこの付近で東に道を曲げています。
小説、プリンセス・トヨトミ(万城目学/文藝春秋)の第一章の51ページに次のように榎木大明神が描写されています。
-榎木大明神 箔美会
小説、プリンセス・トヨトミ(万城目学/文藝春秋)の第一章の51ページに次のように榎木大明神が描写されています。
この章の挿絵にも描かれた榎木大明神は実在します。
鳥居を押し包むように、一本の巨木が立っている。大きく枝葉を広げた木が、幅の狭い道のほぼ左半分を塞いでいた。その手前には、木の根元に寄り添うように、小さな社がひっそり構えている。
鳥居を押し包むように、一本の巨木が立っている。大きく枝葉を広げた木が、幅の狭い道のほぼ左半分を塞いでいた。その手前には、木の根元に寄り添うように、小さな社がひっそり構えている。
ちょっと待ってて、と茶子に告げ、大輔は傘を閉じ、鳥居をくぐった。障子一枚くらいの大きさの鳥居には、「榎木大明神」と赤字で書きこまれた額が掲げられていた。雨と朝の光が混ざり合い、空が妙な具合に白く輝いている。木の下から見上げると、生い茂る葉の隙間から雲の光がぼんやり洩れて、枝葉がおぼろに映った。
榎木大明神は、その名のとおり大きな神樹だ。厳密にはエノキではなくエンジュという木らしいが、このあたりを守る立派な神さまである。太い木の幹には綱が巡らされ、足元に小さな祠が置かれている。御神体の白蛇にちなみ、地元の人間はこの小さな稲荷を「巳さん(みいさん)」と呼ぶ。
「強さをください」
祠に手を合わせ、大輔はこれまで七年間、お願いしてきたことと、はじめて別の願い事をした。
丸っこい身体をさらに丸め、大輔が巳さんに頭を下げている間、茶子はまだひだの付き方が真新しい、おろしたてのスカートを見つめていた。

全国東宝系で2011年5月28日から公開される映画も楽しみです。原作を全部読み終えてないのに楽しみです。
原作:万城目学「プリンセス・トヨトミ」(文藝春秋)
監督:鈴木雅之
キャスト:
鳥居-綾瀬はるか
旭ゲーンズブール-岡田将生
松平元-堤真一
真田幸一-中井貴一
真田竹子-和久井映見
真田大輔-森永悠希
橋場茶子-沢木ルカ
公式サイト: http://www.princess-toyotomi.com/
-第一章p51

映画のロケ地になってますよ。きっと。。。
原作:万城目学「プリンセス・トヨトミ」(文藝春秋)
監督:鈴木雅之
キャスト:
鳥居-綾瀬はるか
旭ゲーンズブール-岡田将生
松平元-堤真一
真田幸一-中井貴一
真田竹子-和久井映見
真田大輔-森永悠希
橋場茶子-沢木ルカ
公式サイト: http://www.princess-toyotomi.com/
アクセスは簡単や!
Posted by nao道 at 03:47│Comments(4)
│神社・仏閣
この記事へのコメント
こんなん好きですわ(笑)
近松門左衛門の墓の北、谷町筋から東へ入るトコにもありますなあ。
近松門左衛門の墓の北、谷町筋から東へ入るトコにもありますなあ。
Posted by G.RONDO at 2011年01月23日 13:29
G.RONDOはん江
プリンセス・トヨトミ読みました?是非ドーゾ!
よろしければ、お貸しすることもできます。お店にもって行きましょか?(笑)
プリンセス・トヨトミ読みました?是非ドーゾ!
よろしければ、お貸しすることもできます。お店にもって行きましょか?(笑)
Posted by nao道 at 2011年01月23日 23:29
こんにちは、ここから南の
お祓い筋の方を見る景色がいいですね。いったい幾人の人がここを通って熊野詣に出かけたんでしょうか?一般庶民のみならず、京のお公家さんたちや平清盛らが通ったと思うとこの場所の歴史的な重みを感じます。
お祓い筋の方を見る景色がいいですね。いったい幾人の人がここを通って熊野詣に出かけたんでしょうか?一般庶民のみならず、京のお公家さんたちや平清盛らが通ったと思うとこの場所の歴史的な重みを感じます。
Posted by Gaoチャン
at 2011年02月06日 16:19

はじめまして。
昔は蟻の熊野詣というほど多くの人がこの道を歩んだようですね。
熊野街道は、拙ブログのテーマの一つです。まだ入口しか書けていませんが…八軒屋浜の記事です。http://otube.osakazine.net/e303803.html
今は、プリトヨの記事ばかりですが、今後とも宜しくお願い致します。4946!
昔は蟻の熊野詣というほど多くの人がこの道を歩んだようですね。
熊野街道は、拙ブログのテーマの一つです。まだ入口しか書けていませんが…八軒屋浜の記事です。http://otube.osakazine.net/e303803.html
今は、プリトヨの記事ばかりですが、今後とも宜しくお願い致します。4946!
Posted by nao道 at 2011年02月06日 16:49