2011年06月04日
大阪城 極楽橋
極楽橋
山里丸と二の丸とを結ぶ橋である。豊臣秀吉が天正11年(1583)に築造を開始した大坂城でもこの付近に架けられた橋を極楽橋と呼び、大坂夏の陣による落城後、徳川幕府が再築した時にも架け直された。江戸時代には幅約8メートル(4間)の木造で、慶応4年(=明治元年、1868)に起こった明治維新の大火によって焼け落ちたが、97年後となる昭和40年(1965)に再架橋された。
現在の極楽橋は長さ約54メートル、幅約5.4メートルで、橋脚【きょうきゃく】・主桁【しゅげた】を鉄筋コンクリート造としつつも、上部は歴史的景観に配慮し伝統的な擬宝珠高欄【ぎぼしこうらん】としている。「極楽」とは仏教で説かれる安楽の世界をさすことから、戦国時代この地にあった浄土真宗本願寺派の本山、大坂(石山)本願寺以来の名称ではないかと考えられている。
-歴史街道・案内板より
上の画像は見づらいとは思いますが、オーストリア・エッゲンベルク城所蔵の「豊臣期大坂図屛風」に描かれた極楽橋です。
「おおさか遊ぶろぐ」でこの記事をチェック!
Posted by nao道 at 22:51│Comments(2)
│史跡を巡る
この記事へのコメント
映画になって、平田さんが松平の父親役だった!ということがわかりました。
なぜここが「極楽」か?
本願寺起源説ということを採れば、吉崎御坊、山科御坊の方角という話を読んだことがあります。
なぜここが「極楽」か?
本願寺起源説ということを採れば、吉崎御坊、山科御坊の方角という話を読んだことがあります。
Posted by ダラカニ at 2011年06月05日 13:51
ダラカニさん江
極楽が本願寺由来なら北陸や山科が強いですからね。
秀吉はやはり京都との往来を考えてココを立派な橋にしたかったのでしょうね。
南側が玄関というのが普通なんですけどね。
極楽が本願寺由来なら北陸や山科が強いですからね。
秀吉はやはり京都との往来を考えてココを立派な橋にしたかったのでしょうね。
南側が玄関というのが普通なんですけどね。
Posted by nao道 at 2011年06月07日 18:35