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2012年03月10日

玉造稲荷神社の由緒

玉造稲荷神社の由緒

玉造稲荷神社 ご由緒

主神
宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)

相殿
下照姫命(したてるひめのみこと)
稚日女命(わかひるめのみこと)
月読命(つくよみのみこと)
軻偶突智命(かぐつちのみこと)

創祀は垂仁天皇18年秋(紀元前12年)とされ、古代には「日本書紀」に記された玉作部の居住地にもなりました。
その後、物部氏と仏教受容問題を争った聖徳太子(廐戸皇子)は、当神社において戦勝を祈り、戦乱後は自ら観音堂を当地へ建立されたと伝わっています。一方、近世に至っては豊臣家が大阪城の鎮守神として祀り、その後、徳川の世に入っても大坂城代着任の際、当神社に参拝し定紋の提灯を奉納する等、その厚い信仰は引き継がれました。明治期から戦前にかけて、全国の神社が国家管理となり、社格も当神社は「府社」となりました。
平成元年(1989)には「創祀二千年祭」を挙行しました。
-現地碑文より

玉造稲荷神社の由緒
豊臣秀吉は稲荷神を崇敬し、玉造稲荷神社を大坂城の鎮守神として祀った。また、大坂城における神事の多くはこの神社神職が執り行い、慶長8年(1603)には豊臣家より五百石の水田(現・大阪市天王寺区玉造本町)が当神社へ朱印地として寄進された。伏見稲荷大社のご分霊を直接祀らない稲荷社で、豊臣秀吉公が稲荷の信仰者であったことと伏見の住民を当玉造の地に住ませた関係で稲荷神と崇められたと考えられている。

上記は玉造稲荷神社HPより抜粋しました。
やっぱり…お稲荷さんにしては、朱い鳥居と神使の白狐がなく何か不思議な印象を受けました。
しかし、主神として祀られる宇迦之御魂大神は、稲荷系の本山・伏見稲荷神社と同じです。

玉造稲荷神社の由緒
次回は、この神社で最も有名な鳥居について書いてみます。4946です!チョキ


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Posted by nao道 at 14:14│Comments(0)神社・仏閣
 
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